『子連れ狼』の憂うつさが
マゾヒズム的な魅力を放ってブームに

 私が「漫画アクション」(双葉社)の連載で読み始めたのは1970年で、高校1年だった。73年には萬屋錦之介(中村錦之助)主演でテレビドラマ化され、毎週見ていたものだ。橋幸夫が歌う主題歌の「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん」がいまだに耳に残っているという当時の視聴者はたくさんいることだろう。作詞も小池である。

 乳母車に幼児を乗せて旅をする刺客という設定、乳母車に仕込まれた武器の数々、各地で依頼される刺客の仕事、柳生との死闘など、じつに独創的で鮮やかで、しかし暗くて重い物語だった。連載は1976年まで続いた。

 原作者の小池一夫は1936年、秋田県の大曲に生まれ、秋田高校、中央大学法学部を卒業後、いくつかの職業を経て作家修業に入り、『ゴルゴ13』で有名な「さいとう・プロダクション」の原作者公募に応じて合格し、入社したのが1968年、32歳の年だったのだそうだ。

 短期間で頭角を現すと1970年に独り立ちし、『子連れ狼』などのヒット作を連発してあっという間に漫画原作者の代表的な存在となった。

『子連れ狼』の暗い絵と陰惨な物語は70年代の世相に合っていた。戦後の高度経済成長は終わり、不況でインフレ、おまけに戦後初のマイナス成長という悲惨な状況に陥った時代である。70年安保闘争や大学紛争も敗北で終わり、元気よく暴れていた大学生たちも憂うつな表情のままキャンパスへ帰った。そのキャンパスでは陰惨な内ゲバ事件があちこちで起き、国民もまた憂うつに沈む。こうした気分に合った作品だった。

『子連れ狼』を読んで留飲を下げた、という記憶はなく、むしろ憂うつを増幅させていたが、それがまたマゾヒズムを味わわせてくれる奇怪な魅力を放ち、多くの読者を引き付けたのである。

 小池一夫のように、陰惨な物語を面白く書いてブームを起こした作家はほかにいないのではないか。