この夏の高校野球最大の注目だった佐々木朗希投手を擁する大船渡高校が、25日の岩手県大会決勝で敗れ、甲子園出場は叶わなかった。
佐々木投手を甲子園で見たい、と期待していた高校野球ファンにとっては残念な結果。しかも、決勝戦に佐々木投手が「登板しなかった」ことがさまざまな議論を呼んでいる。
国保陽平監督は試合後、「投げられる状態にはあったかもしれませんが、私が判断しました。理由としては故障を防ぐため。朝の練習で伝えました。笑顔で『わかりました』と言っていた」と報道陣に語ったという。
このコメントだけを見れば、決勝の朝になって決めたように受け取られる。たしかに最終決断は当日の朝だったかもしれないが、佐々木投手自身が笑顔で「わかりました」と答え、大船渡ナインに大きな衝撃がなかったことを併せて考えれば、その決断が、国保監督と佐々木投手、そして大船渡ナインにとっては予測できたこと、ずっと共有していた『高い意識』に基づいた覚悟だったことがうかがえる。
決勝戦の試合後には、準決勝の試合前、県高野連の医療スタッフに佐々木投手自身が右ひじの違和感を伝えていたとも報じられた。それであればなお、登板回避はごく当然の判断だったろう。
大船渡ナインが持っていた
「全員野球」の精神
大会前にも国保監督は、岩手県大会での優勝を勝ち取るまでの10日間で6勝が必要な今大会の戦い方を報道陣に問われ、「佐々木投手がケガをしないで勝つのが目標」と答えている。佐々木投手1人に依存しない姿勢を示し、5人の投手を登録した。
大船渡高には、春の地区予選で8回参考だがノーヒット・ノーランを記録した和田吟太投手(3年)もいる。国保監督はしっかりと佐々木以外の投手も育成してきたのだ。
そして実際、負けたら終わりのトーナメントであるにもかかわらず、今大会でも「全員野球で戦う」との言葉を体現している。佐々木投手が4回戦の盛岡四高戦で延長12回194球完投勝ちした翌日の準々決勝・久慈戦には、2回戦でも佐々木をリリーフし3回零封の好投をした大和田投手が先発。和田投手につなぐリレーで延長11回の接戦をものにした。