「1万時間の法則」のお粗末さ

「努力は報われる」という主張を無邪気に振り回している人たちが主張の根拠としてよく持ち出してくるのが、いわゆる「1万時間の法則」です。

「1万時間の法則」とは、アメリカの著述家であるマルコム・グラッドウェルが、著書『天才! 成功する人々の法則』の中で提唱した法則で、骨子をまとめれば次のようになります。

・大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな1万時間という気の遠くなるような時間をトレーニングに費やしている
・1万時間よりも短い時間で世界レベルに達した人はいないし、1万時間をトレーニングに費やして世界レベルになれなかった人もいない

 つまり「1万時間の練習を積み重ねれば、あなたは一流になれますよ」ということを言っているわけですが、では何を根拠にそのような大胆な主張をしているかというと、グラッドウェルは次の3つをその根拠にしています。

・一流のバイオリニストは皆、子ども時代に1万時間を練習に費やしている
・ビル・ゲイツは学生時代に1万時間をプログラミングに費やしている
・ビートルズはデビュー前に1万時間をステージでの演奏に費やしている

 形式論理学を多少ともかじったことのある人であれば、ここまで読んだ時点で、上記の事実からグラッドウェルの導いた「1万時間の練習を積み重ねれば一流になれる」という命題が導けないことにすぐに気づいたでしょう。

 これはグラッドウェルに限ったことではなく、「才能より努力だ」と主張する多くの本に共通しているミスです。

 たとえばデイビッド・シェンクによる『天才を考察する』では、「生まれついての天才」の代表格であるウォルフガング・モーツァルトが、実際は幼少期から集中的なトレーニングを積み重ねていた、という事実を論拠として挙げて、やはり「才能より努力だ」と結んでいるのですが、これはよくある論理展開の初歩的なミスで、実はまったく命題の証明になっていません。

 まず、真の命題は次のようになります。

【命題1】天才モーツァルトも努力していた

 この命題に対して、逆の命題、つまり、

【命題2】努力すればモーツァルトのような天才になれる

 を真としてしまうのは、子どもがよくやる「逆の命題」のミスです。正しくは、【命題1】天才モーツァルトは努力していたという真の命題によって導かれるのは、対偶となる命題、つまり、【命題3】努力なしにはモーツァルトのような天才にはなれないであって、「努力すればモーツァルトのような天才になれる」という命題ではありません。

 では努力は「まったく意味がない」かというと、もちろんそういうわけではありません。

 たとえば、プリンストン大学のマクナマラ准教授他のグループは「自覚的訓練」に関する88件の研究についてメタ分析を行い、「練習が技量に与える影響の大きさはスキルの分野によって異なり、スキル習得のために必要な時間は決まっていない」という、極めて真っ当な結論を出しています(*1)。

 興味深いのは同論文がまとめた、各分野についての「練習量の多少によってパフォーマンスの差を説明できる度合い」です。

・テレビゲーム……26%
・楽器……21%
・スポーツ……18%
・教育……4%
・知的専門職……1%以下

 グラッドウェルはバイオリニストに関する研究から「1万時間の法則」を導き出したわけですが、この結果をみれば、確かに楽器演奏は相対的に、練習量がパフォーマンスに与える影響の大きい分野であることがわかります。

 しかし、私たちの多くが関わることになる知的専門職はどうかというと、努力の量とパフォーマンスにはほとんど関係がないということが示唆されています。

 この数字を見ればグラッドウェルの主張する「1万時間の法則」が、いかに人をミスリードするタチの悪い主張かということがよくわかります。

「努力は報われる」という主張には一種の世界観が反映されていて確かに美しく響きます。しかしそれは願望でしかなく、現実の世界はそうではないということを直視しなければ、「自分の人生」を有意義に豊かに生きることは難しいでしょう。

(注)
*1 Brooke N. Macnamara(Princeton University), David Z. Hambrick(Michigan State University), and Frederick L. Oswald(Rice University), [Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis], Association for Psychological Science 2012.