ポジショニングを変えてノーベル賞を取った山中伸弥

 ポジショニングを変えることで、自分の価値が最も高まる場所にポジショニングするというニュータイプのワーキングスタイルを実践し、大きな成果に結びつけたのがノーベル賞を受賞した山中伸弥氏のキャリアです。

 山中氏は、スポーツ整形外科医を夢見て1987年から整形外科研修医として勤務するものの、手術のあまりの下手さに「向いていない」と感じて、2年後には基礎医学を学ぶため薬理学研究科に入学しています。

 しかし、伝統的な薬理学にも強いフラストレーションを抱いて、ここでも挫折してしまうのですが、研究の最中にノックアウト・マウス(遺伝子の機能を推定するために、特定の遺伝子を不活性化させたマウス)に出会って衝撃を受け、ここに新しいブレークスルーへの道があることを直感します。

 その後、博士号を取得し、アメリカのグラッドストーン研究所でゼロから分子生物学を勉強し、どんな細胞にも変化するES細胞に強い興味を持ちます。帰国後は、大阪市立大学医学部助手になってES細胞の研究をゼロから始めます。

 研究の内容は「受精卵から取り出して培養した生きた胚からではなく、皮膚などの体細胞からES細胞と同じような細胞を作る」という、まだ誰もやったことのないチャレンジでした。

 できるかどうかはわからない。しかし、もしできれば、受精卵を使うという倫理的問題と免疫拒絶問題の両方をクリアできる。

 できなければ、科学者をあっさりあきらめて町医者をやる、というのが助教授に就任したときの覚悟だったそうです。この研究がやがてiPS細胞の発見へとつながり、山中氏にノーベル賞をもたらしたのです。

 山中氏のキャリアは、私たちにさまざまな示唆を与えてくれます。

 山中氏が最初に目指したキャリアはスポーツ整形外科医でした。ですが、これは自分に向いていないと考えて、2年後にはキャリアを転向しています。結構短いな、というのが多くの人の印象ではないでしょうか。

 しかし医師としてどの領域で生きていくか、まさにどこにポジショニングするかを選べる期間はそう長くはありません。そのように考えてみれば「2年で見切る」というのも一つの勇気だと考えるべきなのかもしれません。

 そしてその後、薬理学の世界に身を転じた山中氏は、ここでも挫折してしまいますが、このとき、後の研究につながる大きなヒントを得ています。

 挫折して逃げる。ただし逃げるときにタダでは逃げない。そこから盗めるものはできるだけ盗んで、次のフィールドで活かす。そのようにしてフィールドを越境しているからこそ、知識や経験の多様性が増加し、それがやがてユニークな知的成果の創出につながったわけです。

 山中氏のキャリアは、一般に日本では忌避されがちなニュータイプの行動様式、つまり「一所懸命に頑張らず、次々にポジショニングを試すことで、最も自分が輝ける場所を探す」という行動様式がもたらす大きな成果を示しています。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)