こうしたステージを創出していたのがジャニー喜多川さんであり(作品によって、総合演出・演出・作・構成…など、さまざま)、2002年には、「永年のショービジネスに対する多大な情熱と功績」で、菊田一夫演劇賞・特別賞も受賞している。
ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」(1961年公開)を見た感動が事務所設立の原動力になったことは有名な話で、タレント育成とステージ創りへの熱量は常人には計り知れないものだった。
例えば、「PLAYZONE(プレゾン)」のショータイムにおける少年隊のきらびやかなパフォーマンス、「Endless SHOCK」における堂本光一の体を張ったアクション…常に舞台表現の先端を行くステージは、観客の心を一度つかんだら離すことなく、それが長年にわたるリピーターを生み、無数のファンを魅了していった。
新大久保の東京グローブ座は、
どのような劇場なのか?
ジャニーズ事務所のタレントの演劇活動で、東京グローブ座(東京都新宿区百人町)もなくてはならない存在だ。
同劇場は、大久保通りの喧騒(けんそう)を抜けた住宅地の一角にある。バブル景気さなかの1988年4月にパナソニック・グローブ座(主にシェイクスピア作品の上演劇場)として開館し、2002年にジャニーズ事務所のグループ会社による運営となった(パナソニック・グローブ座と東京グローブ座は、2002年までは名称が併用されていたが、本稿では2002年までをパナソニック・グローブ座、以降を東京グローブ座に使い分けて記述する)。
客席数700あまりの劇場なので、大がかりな舞台装飾やセット転換は不向きだろう。観客がステージから近い距離で芝居に向き合うことで、役者たちの実力が問われ、東京グローブ座で主役(座長)を務めることはタレント自身のステータスにつながるはずだ。
そもそも、ステージ上の公演スタイルで行われる演劇は、本番でのNGが通用せず、時にはアドリブも要求され、一般的に稽古時間も長い。役者の胆力はいやが応でも鍛えられ、劇団出身者がテレビや映画界で重宝されるのは理の当然だ。
だから、タレントを舞台役者として成功させ、さらなる成長をもたらす東京グローブ座は、いまもこれからも、ジャニー喜多川さんの“フィールド・オブ・ドリームス(夢の集積地)”なのだと思う。