ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が話題の山口周氏。山口氏が「アート」「美意識」に続く、新時代を生き抜くキーコンセプトをまとめたのが、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
今は、空前の「教養ブーム」。しかし、リベラルアーツを“社会人として身につけるべき教養”などと解釈するのは大間違いだ。リベラルアーツは、「物事を見る枠組み」を大きく変える力を持つ。なぜ、これからの時代に教養が必要なのか? なぜリベラルアーツは「武器」になるのか? データ分析やSTEM(Science =科学、Technology =技術、Engineering =工学、Mathematics =数学)教育など、「サイエンス」の重要性が叫ばれる今、改めてリベラルアーツの重要性について考える。
切り替わった時代をしなやかに生き抜くために、「オールドタイプ」から「ニュータイプ」の思考・行動様式へのシフトを説く同書から、一部抜粋して特別公開する。

教養ブーム火付け役【山口周】のリベラルアーツを「武器」にする思考法Photo: Adobe Stock

【オールドタイプ】サイエンスに依存して管理する
【ニュータイプ】リベラルアーツを活用して構想する

構想力はリベラルアーツで高まる

ああ、馬鹿ですか。馬鹿にもさまざまな種類の馬鹿があって、
利口なのも馬鹿のうちの余り感心しない一種であるようです(*1)。
――トーマス・マン

 第5回で「問題の希少化」、第6回で「イノベーションの停滞」という論点を取り上げ、両者はともに「構想力の減退」という同根に起因していることを指摘しました。

 では「構想力」を高めるためには何が必要なのでしょうか? 答えは「リベラルアーツ」ということになります。

 サイエンスは「与えられた問題」を解く際に極めて切れ味の鋭い道具となりますが、そもそもの「問題」を生成するのはあまり得意ではありません。なぜなら先述した通り、「問題」を生成するためには、その前提となる「あるべき姿」を構想することが必要なわけですが、この「あるべき姿」は個人の全人格的な世界観・美意識によって規定されるものだからです。

 人がどのように生きるべきか、社会がどのようにあるべきかを規定するのはサイエンスの仕事ではありません。このような営みにはどうしてもリベラルアーツに根ざした人文科学的な思考が必要になります。

 私は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』において、オールドタイプが依拠するサイエンス偏重のマネジメントが、モラルの低下や差別性の喪失といったさまざまな問題を生み出す元凶となっていることを指摘し、これから活躍するニュータイプは美意識や直感といったアート的な側面を重視すると指摘しました。

 幸いなことに、この指摘に対しては特に経営者を中心とした方々から大きな反響をいただき、「経営におけるサイエンスとアートのリバランス」という問題はさまざまな場所で議論されるテーマとなりました。

 今日に至るサイエンス偏重のきっかけとなったのが、2008年にウォール・ストリート・ジャーナルが報じたペイスケール社による国際的な報酬調査の結果でした(*2)。

 その記事では、いわゆるSTEM(Science =科学、Technology =技術、Engineering =工学、Mathematics =数学)として括られる理数系学位を得た学生は、総じて給与水準の高い職に恵まれていることがわかった、と報じています。

 たとえば新卒入社の「給与中央値」で見ると、トップはマサチューセッツ工科大学(MIT)とカリフォルニア工科大学の2校で、報酬の中央値は7万2000ドルでした。ちなみにこの2校は、中途採用時の初任給中央値でもそれぞれ3位と6位にランクインしています。

 この記事がきっかけとなり、さらには近年の人工知能やらビッグデータの騒動も重なったことで「これから食いっぱぐれないのはSTEMだ」という意見が強まったのがここ数年の風潮だったわけですが、さて、ここまでお読みになられた読者のなかには、最頻値も分散も参照せずに中央値だけを比較して「高い報酬を得たいのならSTEM」と結論づけるのはちょっと乱暴だなあ、と感じられた人もいるのではないでしょうか。

 その通りで、実はペイスケール社のデータを違う論点から確認してみるとまったく異なる風景が浮かび上がってきます。たとえば、全米で中途採用された人のうち、中央値ではなく「最も高年収で採用された上位10%(同調査では30万ドル以上と設定)」の集団に絞れば、MITはやっと11位になって顔を出すに過ぎず、1位から10位までは教養系学部に強みを持つエール大学やダートマス大学といった学校が並んでいることに気づきます。

 このような「学校別」のデータに加えて、専攻別についても同様の傾向が見られます。中途採用者の専攻別の給与ランキングの平均値では、確かに全般的にコンピューターサイエンスや化学工学が上位にランクされており、上位20科目にリベラルアーツ系の科目はなかなか見当たりません。

 ところが、全米で最も成功している人物、つまり年収の上位10%に当たる人々の専攻科目を見てみると、政治学、哲学、演劇、歴史といったリベラルアーツ系科目が突出して目立つようになります。

 以上をまとめると次のようなことが言えます。STEMの学位を得れば、就職時に「人並み以上」の収入を得ることができる公算は確かに強いと言えそうです。就職時、つまり組織でいうところの「スタッフ」として採用されるタイミングであれば、他の「スタッフ」よりも高い報酬を得られる可能性は高いということです。

 一方で、突出した高収入者、つまり経営を取り仕切る、あるいは独自の知的・創作活動によって社会にインパクトを与えるような「リーダー」は、リベラルアーツ系の学位を持っている傾向が強いということです。

 この事実は、ここ10年ほどのあいだ、教育や政治の世界において言われ続けきた主張とは大きく異なるため、戸惑いを覚える読者もおられるかもしれません。しかし、よく考えてみればこれは当たり前のことなのです。

 本書では「役に立つ」と「意味がある」の2つの効用のうち、「モノ」や「利便性」が過剰になっている先進国においては、「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことの方に大きな価値が認められている、という指摘をしました。

 あらためて確認すれば、「役に立つ」の軸に沿って目盛りを高めるのはサイエンスの仕事であり、「意味がある」の軸に沿って目盛りを高めるのがアートの仕事です。現在の社会において大きな価値を生み出すのは「役に立つ」よりも「意味がある」なのですから、全米で最も高収入の人々がリベラルアーツ系の学位を持っている傾向が強いというのは、当たり前のことなのです。

(注)
*1 トーマス・マン『魔の山』より
*2 http://online.wsj.com/public/resources/documents/info-Degrees_that_Pay_you_Back-sort.html