ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が話題の山口周氏。山口氏が「アート」「美意識」に続く、新時代を生き抜くキーコンセプトをまとめたのが、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
日本企業でもイノベーションが経営課題となって久しい。また、イノベーションの方法論も長年にわたって研究・開発されているが、日本企業から世界を席巻するようなイノベーションが生まれる気配はない。そこには、イノベーションに対する本質的な誤解があるからだ。日本企業がイノベーションを起こせない、喜劇的だが本質的な理由とは何か?
社会構造の変化やテクノロジーの進化にともない、「オールドタイプ」から「ニュータイプ」の思考・行動様式へのシフトを説く同書から、一部抜粋して特別公開する。

【オールドタイプ】課題に向き合わずに、イノベーションという手段にこだわる
【ニュータイプ】手段にこだわらず、課題の発見と解決にこだわる

イノベーション停滞の真因は「問題の希少化」

善い人間についての議論はもう終わりにして、そろそろ善い人間になったらどうだ?(*1)
――マルクス・アウレリウス

 昨今、日本企業の多くがイノベーションを筆頭の経営課題に掲げ、さまざまな取り組みを行っています。しかし、いろんなところで指摘している通り、筆者はそれらの取り組みのほとんどが茶番だと思っています。なぜかというと、それらの取り組みにおいて解決したい課題=アジェンダが設定されていないからです。

 当事者に対して「課題は何ですか?」と尋ねると「まさにイノベーションの実現が課題だ」と言われることが多いのですが、これはイノベーションを本質的に誤解しているオールドタイプの典型的な回答です。

 イノベーションは課題にはなり得ません。なぜなら課題を解決するための手段がイノベーションだからです。手段であるイノベーションを目的として設定すれば、その上で行われる営みは本番たり得ず、したがって茶番というしかありません。

 イノベーションという手段が目的にすり替わってしまっているというのは、今日のビジネスを取り巻く不毛と混乱を象徴しています。本来、ビジネスもまた何らかの豊かさを生み出す、あるいはなんらかの社会的問題を解決するための「手段」でしかなかったはずです。

 その対価として報酬が支払われていたわけですが、今日、本義として有していたはずの「企業が生み出す豊かさ」や「企業が解決する問題」はビジネスの文脈から抜け落ちてしまい、多くの企業が「売上」や「収益」などによって計測される「生産性」だけを目的にして活動し、そこに関わる人のモチベーションを粉砕しています。本来的な目的や意義を失ったままに生産性のみを目的にして駆動するのは典型的なオールドタイプのパラダイムです。

 筆者は『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』を著した際に、イノベーターとして高く評価されている人々にインタビューを行いましたが、これらのインタビューを通じてわかったのは「そもそもイノベーションを起こそうとしてイノベーションを起こした人はいない」という喜劇的な事実でした。

 彼らは決してイノベーションを起こそうとして仕事をしたわけではありませんでした。常に「こういう問題が解決できたら素晴らしい」「こういうことが可能になったら痛快だ」という具体的な「解決したい問題」が明確にあり、それを解決するための手段がたまたま画期的なものであったために、周囲から「イノベーション」と賞賛されているだけで、元から「イノベーションそのもの」を目指していたわけではないのです。

 一方で、世間の流行に振り回された挙句、手段にしか過ぎない「イノベーション」を目的と勘違いして追求しているのがオールドタイプということになります。

 しかしなぜ、オールドタイプは手段にしか過ぎないイノベーションを追求するのでしょうか? 理由は非常にシンプルで、そうすることで「イノベーター」という称号と尊敬が得られるからです。

 世の中に存在する課題を解決することを目指した結果、たまたまイノベーションを起こしてしまった「本物のイノベーター」が、「世の中の課題を解決すること」を目標にして仕事に取り組んでいるのに対して、手段に過ぎないイノベーションを最初から目指す「偽物のイノベーター」は、「自分の価値を高めること」を目標にして仕事に取り組んでいる、ということです。両者では「価値創出」の方向が真逆なのです。

(注)
*1 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121年4月26日~180年3月17日)は、第16代ローマ皇帝(在位:161年~180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では第5代皇帝。ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めたことからネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。