分断する社会で「領域横断の武器」となる
リベラルアーツはまた、専門領域の分断化が進む現代社会のなかで、それらの領域をつないで全体性を回復させるための武器ともなります。
テクノロジーはどうしても必然的に専門化を要請します。(中略)もし教養という概念を科学的知識のスペシャリゼーションというものと対立的に考えれば、勝負は見えていると思う。それは教養の側の敗北でしかない。しかし教養というものは、専門領域の間を動くときに、つまり境界をクロスオーバーするときに、自由で柔軟な運動、精神の運動を可能にします。専門化が進めば進むほど、専門の境界を越えて動くことのできる精神の能力が大事になってくる。その能力を与える唯一のものが、教養なのです。だからこそ科学的な知識と技術・教育が進めば進むほど、教養が必要になってくるわけです。
――加藤周一他『教養の再生のために』
「専門領域を自由に横断するためには教養=リベラルアーツが必要だ」という加藤周一のこの指摘が、そのままニュータイプにとっての要件であることに気づきますか。
居心地のいい領域のタコ壷にこもって専門家としての権威を盾にして安寧にプライドを守ろうとするオールドタイプに対して、ニュータイプは、異なる専門領域のあいだを行き来し、その領域のなかでヤドカリのように閉じこもっているオールドタイプの領域専門家を共通の目的のために駆動させるのです。
仕事の場において、「自分はその道の専門家ではない」という引け目から、「なにか変だな」と思っているにもかかわらず領域専門家に口出しすることを躊躇してしまうということは誰にでもあることでしょう。
しかし、専門領域について口出ししないという、このごく当たり前の遠慮が、世界全体の進歩を大きく阻害しているということを私たちは決して忘れてはなりません。
第18回で紹介した通り、東海道新幹線を開発する際、鉄道エンジニアが長いこと解決できなかった車台振動の問題を解決したのは、その道の素人であった航空エンジニアでした。このとき「自分は専門家ではないから」と遠慮して、解決策のアイデアを提案していなかったらどうなっていたでしょうか。
世界の進歩の多くが、門外漢の素人によるアイデアによってなされています。米国の科学史家でパラダイムシフトという言葉の生みの親になったトーマス・クーンはその著書『科学革命の構造』の中で、パラダイムシフトは多くの場合「その領域に入って日が浅いか、あるいはとても若いか」のどちらかであると指摘しています。
専門領域を自由に横断しながら、必ずしも該博な知識がない問題についても、全体性の観点に立って考えるべきことを考え、言うべきことを言うための基礎的な武器としてリベラルアーツがあるのだということです。
(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。