ノーベル経済学賞受賞の
バナジーとデュフロがしたこと

 経済学における因果推論の歴史があまり長くないのには理由がある。疫学や生物統計学では「臨床試験」や「治験」と呼ばれる実験が可能だ。しかし、経済学をはじめとする社会科学分野では、実験は極めて難しい

 因果推論においては、「ランダム化比較試験(RCT)」と呼ばれる実験をして得たデータ(実験データ)を使うほうが、すでに観察されているデータ(観察データ)を使うよりも強いエビデンスを導くことができる。しかし、人間を対象にした実験をするには、資金や倫理的な面に加え、政治的に困難が伴うことも多い。

「医療費の自己負担割合」と「健康」のあいだの因果関係を調べるために1971~1986年に行われた「ランド医療保険実験」(第11回)には、3億ドルもの費用が投じられている。このような高額な社会実験は誰にでも可能なわけではない。また、「喫煙」と「肺がん」の因果関係を知りたいからといって、被験者に強制的にたばこを吸わせたりすることは倫理的にできない。このことが経済学から因果推論を遠ざけていたと見られている。

 ところが、2000年代になると、経済学にはさらに新しい動きが起こった。実験経済学者であるシカゴ大学のジョン・リストや、開発経済学の専門家集団であるマサチューセッツ工科大学の貧困アクションラボ(J-PAL。今回ノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジーとエステル・デュフロなどが設立)の研究者グループが、さまざまな壁を乗り越えて、大規模な社会実験を実施し始めたのである。

 貧困アクションラボは「ランダム化比較試験の専門機関」とも言うべきもので、ランダム化比較試験を用いた研究ばかりしているという徹底ぶりだ。彼らは「政治的流行に左右されやすい政策を、エビデンスに基づくものにする」という目標を掲げ、ランダム化比較試験を「政策評価の理想形」と呼ばれるまでにその地位を押し上げることに成功した。

 経済学では、因果推論に基づいて政策の効果測定を行う研究領域のことを「政策評価」と呼んでおり、近年その体系化が急速に進展している。