前編では、辻谷政久社長が「世界一の砲丸」をつくり上げるまでの飽くなき探究心と、なぜロンドン・オリンピックに「魔法の砲丸」の提供を断念したかについて聞いた。そして辻谷は、「大企業の下請けにはならない」という経営を貫いてきた。後編ではその心意気について語ってもらう。
実は、辻谷がつくる「魔法の砲丸」も、辻谷の手から離れてしまいかねない出来事があったのだ。2000年のシドニー・オリンピックの翌春に、アメリカのメーカーから砲丸づくりの「技術指導」をしてほしいという話が持ち込まれたときのことだ。
米国からの「年商1億円の
申し出」を断った理由
辻谷 みなさんご存知のように、日本の野球選手がメジャーリーグに行く時に、代理人が間に入りますよね。アメリカのメーカーの代理人が僕のところに2回目に来た時には、日本語と英語で契約書を作ってきた。僕は初めてその時に知ったんですけど、アメリカの契約書ってハンコ要らないんですよね。サインだけ。ですから、「サインしていただけば、契約は成立します」と。その時提示された金額が当時の額で2万ドルだったんです。それも週給です。年間では1億円くらいになる。
さすがに、これはいきなり断れないですよ。それで「いったい砲丸をつくるのに、そんな金額払って採算とれるんですかと、相手の会社に聞いてみてくれ」と言ったところ、「オリンピックで、ほんのひとつの製品でもいいから、メダルを総なめできるような製品を作っている会社となれば、日本と違ってアメリカではものすごく信用が上がる。そのほかの製品が今までの2倍、3倍売れ出すから、そちらで十分採算とれる」という答えが返ってきました。