吉野氏が語る
「豊田章一郎氏の相談事」

 吉野氏本人が、相談事の中身について打ち明ける。

「10年後の自動車産業や未来のモビリティー社会がどのようになるのか。章一郎さんも章男社長も、未来の予測が難しくなったことに大変な危機感を持っている。具体的にどんな世界になっていくのか。今トヨタはどんな手を打たなければならないのか。(私の経験談から)何かヒントが欲しかったんだろうね。近々に、またお会いする約束をしましたよ」

 トヨタの経営を章男社長に完全に託している章一郎氏だが、トヨタの将来が心配で焦燥感に駆られて、吉野氏を訪ねたというのが真相のようだ。

 研究開発で一番重要なのは、未来予測だ――。これが吉野氏の持論である。研究者がいくら独創的な技術の種を持っていても、世の中の人のニーズ、つまり未来を読み間違えると技術が開花することはない。

 その吉野氏が未来を読み解くための拠り所としてきたのが、“バズワード”だ。社会に新しい概念が生まれる時、言葉だけは独り歩きで流行しても、その意味や定義はまだ曖昧模糊なままだ。その段階で、「研究者は、バズワードが生まれるような社会現象の裏にある“大きなヒント”を敏感に嗅ぎとることが絶対に必要だ」(吉野氏)と言い切る。

 吉野氏がリチウムイオン電池の開発を決めたのも、「ポータブル(持ち運びできる)」というバズワードがきっかけだった。その後、電源コードをなくす「コードレス」、通信ケーブルをなくす「ワイヤレス」といったポータブルな世界を手助けするようなバズワードが追加されてゆく過程で、吉野氏は「持ち運びできる電池の未来」をはっきりと予測することができた。現実世界で変化が起きる前に、である。

過去の統計・エビデンスでは
未来は見通せない

 実際に、リチウムイオン電池は劇的な進化を遂げた。スマートフォンから電気自動車(EV)まで。91年の商用化以降、私たちの生活に不可欠な基幹デバイスとなった。大容量化の限界、高コスト、発熱リスクなどリチウムイオン電池の課題を挙げれば切りがなかったが、「絶対に不可能だ。あり得ない」と周囲から冷笑されようとも、吉野氏は自分を信じて開発を続けた。そして、社会はリチウムイオン電池の技術革新を強く求めた。

 吉野氏の場合もそうだが、テクノロジーが切り開く未来が、既存技術の延長線上にあるものとは限らない。「世の中は思いもしない方向へ進んだりするもの。社会学者や経済学者のように、過去・現在の統計やエビデンスから未来を考えようとすると、未来予測を見誤ってしまう」(吉野氏)。
 
 そして今、日本が誇る自動車帝国の盟主、トヨタが全く同じ悩みを抱えている。CASE時代のモビリティーの未来が見通せない。未来を見通せないから、トヨタの勝ちパターンも提示できないというのだ。だからこそ、章一郎氏は、吉野氏の嗅覚と経験に基づく「未来を予測する力」にあやかりたかったのではないだろうか。