加えて、大学の「価値」をビジネスとして眺めると、大学の卒業者・在学者の対外的価値に対して有効なシグナルを与える機能に思い至る。「○○大学卒」であることが、「何らかの資質(能力やネットワーク)を持つ人」のシグナルとして有効に機能するので、人は○○大学に入学しようとする、という動機は確実に働いている。

 もちろん、○○大学の教育で付加的に得られる能力に経済価値がある場合もあるだろう。ただ、「○○大学卒業」あるいは「○○大学生」というシグナルにも経済価値があると見込んで、多くの入学希望者は学費と人生の貴重な時間(多分、時間の機会費用の方が学費より大きいと思うが)を○○大学に投資しようと思うのが現実だ。

 この場合、大学は卒業生や在学生にいわば「品質保証」を与えるブランドの役割を果たしており、ビジネスとして大学を眺めると、大学は明らかにブランドビジネス的である。

ブランド品が原材料にこだわるのは当然
大学は入学生の目利きを他人任せにするな

 大学をブランドビジネスと見た場合、主な商品は「卒業生」であり(「中退者」も価値を持つことがあるので無視できないが)、ブランドとしての価値は卒業生の質(内容は多様だが)に対する評判にある。

 製品であれば加工技術に相当する大学の教育の質が問われることはもちろんだが、製品の質が原材料の質に大いに影響されることは間違いない。ブランド品が原材料にこだわるのは当然のことだ。

 本質的にブランドビジネスである大学も、将来の商品の原材料である入学生にこだわるのは当然のことだろう。その選別プロセスの一部を外部に委ね、さらには入試の公平性に疑義を持たれかねない民間試験の流用は、ブランドビジネスとしての大学にとっては中長期的な自殺行為だ。製品の質のバラツキは、ブランド品の評判(≒価値)にとって致命的だからである。ブランド品の製造販売者が、原材料を仕入れる際の目利きを一部他人任せにするという行為は、ブランドの価値にとって合理的だとは思えない。