田中が提案したのは串カツ屋でした。田中は、小さな頃から父親が家で作ってくれる串カツが大好きで、いつか店をやりたいと思っていました。

 しかし、大阪でも串カツを食べるエリアは限られていて、僕自身、串カツを食べたことがなく、正直、あまり乗り気ではありませんでした。

 結局、この時は田中の父親が作っていた串カツのタレのレシピが見つからず、納得のいく味が作れなかったことから出店には至りませんでした。

倒産危機がきっかけで
消えたレシピを発見

 そこで考えた末、本格的な京懐石料理をやることに決め、2004年3月、初めて東京に出店しました。場所は表参道で、店内には日本庭園を設けるなど、かなりの投資を行いました。

 生活は大変でした。月収は20万円程度。東京に来て半年は家がなく、店で寝泊まりし、よく洗い場で体を洗っていました。

 その後、店は雑誌で紹介されて人気を博すようになりましたが、経営の悩みは尽きませんでした。最も頭を痛めたのが、人不足の問題です。京懐石の料理人は職人肌の人が多く、社員との折り合いが難しい上、その職人が辞めてしまうと料理も変わってしまう。

「業務のマニュアル化や教育により、料理のプロが不要なコックレスの飲食店をやりたい」

 京懐石店での苦労は、のちの串カツ田中で生かされることになりました。