旧第1学区の二番手校「小山台(こやまだい)」。夏の甲子園予選(東東京大会)準優勝など、文武両道の活躍を見せている

そろそろ早めの合格を得るため、併願優遇のある私立校に足を運び始める中学3年生も多い東京の高校受験だが、冬休み前のこの時期は、学校の先生と進路について相談する最終段階でもある。親の時代とはだいぶ様相が異なる都立高の「下克上」について見ていこう。併せて、毎年のように動く私立併願校の新潮流も押さえておきたい。(ダイヤモンド・セレクト編集部)

よみがえる都立高の象徴的存在「日比谷」

 学校間の序列というものはあまり大きくは変わらないものだが、こと東京にある高校に関しては、この半世紀を見ても、大きな変動に見舞われている。かつては都立高の併願校(滑り止め)だった学校が中高一貫校化して難関大学の合格実績上位に名を連ねるなど、「下剋上」は現実のものになっている。

 都立高入試の制度変更が学校間の序列変動に拍車をかけてきた面もある。1952~66年に行われていた「学区合同選抜制度」の時代は都立高全盛期だった。それが67~82年の学校群制度の導入で傾き、82~93年のグループ合同選抜制度の時期に暗黒時代を迎えた。後者は団塊ジュニアの高校受験期であり、都立の自滅で私立が大きく伸びた時期でもある。

 94年から単独選抜制度が導入され、学区外の受験も可能となったが、それでも長らく、都立高の地位は低下したままだった。2001年から始まった都立高校改革で進学指導が明確にうたわれるようになり、ようやく都立高は人気も実力も復活してきた。

 都立高受験を見つめて30数年。自らも学校群での受験を経験している進学研究会教育研究所の並木隆司所長は、「リーマンショック(2008年秋)のあと、都立高人気は高まり、高校授業料無償化のあとは私立校人気が高まっています。とはいえ、いずれも30数人いるクラスの中で1人の生徒が都立もしくは私立の高校に多めに進んだ程度のことです。それが全体で見ると大きな動きになる」と説明する。

 いまはどの都立も受けられるが、親の世代は原則として自分の住んでいる学区内しか受験できなかったことを考え、旧学区ごとに都立の現状を眺めてみたい。

 まず取り上げるのは、千代田区、港区、品川区、大田区が対象の旧第1学区である。この学区を代表する存在は、学校の向かいに議員会館が並ぶ千代田区永田町にあり、前身が1878年設立の旧制東京府第1中「日比谷」であることに異論はないだろう。

 かつては東京大に3ケタの合格者を出し、全国の頂点に君臨するような公立進学校だったが、16年間にわたり猛威を振るった学校群制度の下で、校風のだいぶ異なる三田(旧制6高女)、九段(旧制第1東京市立中)と同じ11群になり、偏差値は急降下する。その後もグループ合同選抜制度の下、1993年までは原則として学区内での受験しかできず、この頃には東大合格者1~2人という暗黒の時代も経験した。

 都立高校改革で西や戸山、国立など都立トップ校と共に進学指導「重点校」に指定されたことで復活の糸口をつかんだ。二番手校、三番手校も「特別推進校」や「推進校」に指定され、大学進学実績の向上に注力していった。その一方で、中等教育学校への衣替えや附属中学の付設などにより、都立の中高一貫校は10校にまで増えている。