よく、「国家の大事なことはエリートが決めればいい。選挙に委ねるのは間違い」という主張がある。だが、かつての共産主義や全体主義の国など、エリートが全てを決める「計画経済」の国はほとんど失敗した(第114回)。エリートは自らの誤りになかなか気付けないものだ。

 また、エリートは自らの誤りを隠そうとし、情報を都合よく操作しようとする。しかし、操作しようとすればするほど、ますますつじつまが合わなくなる。国民がエリートの誤りに気付いたときは手の施しようがなくなっていて、国民はエリートと共に滅びるしかないのだ。その端的な事例が、「大本営発表」を続けて国民をだまし、国民が気づいたときには無条件降伏に追い込まれていた、かつての「大日本帝国」だろう。

 共産主義・全体主義の国は、うまくいっているときは意思決定が早く、優れた政治体制のように見えなくもない。だが、いったん危機に陥ると脆いものだ。一方、自由民主主義がその真価を発揮するのは、危機的状況においてである。

 危機的状況であっても、国民に隠し事なく、どんな都合の悪い情報でもオープンにすることで、国民は危機回避に動くことができる。また、政府に誤りがあれば、選挙という手段で政治体制が崩壊する前にそれを正すことができる。

 そういう状況は意思決定に長い時間がかかるし、不格好に見えるものである。だが、最後には国家そのものを崩壊させるようなことにはならず、ベストではないにせよ、「まだマシ」な決定を下すことができるものだ。

 ちなみに、第2次世界大戦の緒戦、英国はナチスドイツに対して劣勢に追い込まれた。しかし、英公共放送BBCは、日本の「大本営発表」とは真逆の姿勢をとった。悪い情報も包み隠さず放送したのだ。悪い情報を国民が知ることこそ、明日の勝利につながるという信念に基づいた行動だった(第108回)。