日産離婚_消えた幹部
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新体制の発足からわずか2カ月で「トロイカ体制」は崩壊した。「ナンバー3」の離脱や経営上層部の混乱が続き、日産の経営は末期症状にある。特集「日産離婚」(全3回)の#2では、早くも始まった「内田社長降ろし」の内幕に迫る。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)

日産「ナンバー3」を引き抜いた
日本電産・永守会長の絶妙なタイミング

 夜が明けるのが待ちきれなかったのだろうか。昨年10月9日の早朝に、永守重信・日本電産会長は日産自動車のキーパーソンに電話をかけていた。「関さんが社長になると思っとったんや。三番目は面白くないだろう。うちに来る気はないのか――」

 前日の8日21時、横浜市にある日産のグローバル本社では、記者会見が開かれていた。12月1日付けで、内田誠・社長兼最高経営責任者(CEO)、アシュワニ・グプタ・最高執行責任者(COO)、関潤・副COOの3人が新経営陣として選出され、「トロイカ体制」の発足が固まったのだった。社長候補の筆頭格との呼び声が高かった関氏だが、ふたを開けてみれば結果は「ナンバー3」だった。

 昨春頃から、永守会長は関氏に日本電産社長のポストを用意して熱心に誘っていた。会長自らのラブコールにも関氏は首を縦には振らなかったようだが、今から思えば、永守会長は関氏の心を見透かしていたのかもしれなかった。

 年の瀬が押し迫った昨年のクリスマスイブに、関氏の日本電産への“電撃移籍”が表面化すると、日産社内は上を下への大騒ぎとなった。わずか1カ月足らずで新体制が崩壊したのだから無理もない。3人の中では唯一の生え抜きであり、日産の求心力となる存在でもあったことから社員のショックは大きかった。

 複数の日産関係者の話を総合すると、関氏が辞任した最大の理由はジャンドミニク・スナール・仏ルノー会長による“関氏の排除”に嫌気が差したというものである。

 日産幹部は、「スナール会長は自身に絶対服従をしない人間に対して独特のマウントをとる。関さんに対してもそうだった」と明かす。スナール会長は「関はアライアンスに否定的だ」と繰り返し発言していた。同幹部によれば、アライアンスに否定的という言葉は「スナール会長の意見・やり方とは違う」という意味なのだそうだ。