「解説のない数学の教科書」が天才を育てた

 数学の歴史を変えることになったハーディへの手紙を書くまで、ラマヌジャンは貧しくてぽっちゃりした南インドの少年だった。

 しかし彼は、数学の方程式に特別な愛情を抱いていた。彼は何より数学を愛していたのである。

 彼の数学への愛は、たびたびラマヌジャンを困難な状況に陥らせた。他の科目を勉強する気が起きず、大学を退学させられてしまったこともあった。

 彼の心の中にあったのは、方程式だけだった。休暇中や失業中には、ラマヌジャンは家の前のベンチに何時間も座り、石板を使って方程式と格闘した。

 夜更かししすぎて、母親が彼の手に食べ物を渡してやらないといけないことすらあった。

 当時の数学界の中心地から何千マイルも離れた場所に住んでいたため、高度な数学の教科書を手に入れることは、ラマヌジャンにとって大きな問題だった。

 そんな中で彼が出合い、隅々まで学びつくした一冊の本が、ジョージ・カーの『純粋数学・応用数学における初歩的結果の要覧』だった。

 この本を著したカー自身も、数学の天才というわけではない。学生向けのガイドとして書かれた本書には、数学のさまざまな分野における定理が整理された長いリストがついていたが、そのほとんどに説明や証明はついていなかった。

 しかし、説明や証明がなくても、カーの本はラマヌジャンのように聡明で、数学に取りつかれた人にとっては、大きな価値のある教材となったのである。

 彼はそれを使い、単にある定理がどうやって導き出されたのかの説明を暗記するのではなく、自分でその解法を見つけ出さなければならなかった。

 ハーディを含む当時の評論家の多くは、ラマヌジャンが子ども時代に貧しい家庭環境で育ったことと、数学の最先端に触れるのが遅れたことが、彼の天賦の才に取り返しのつかない損害を与えた可能性があると主張したが、現代の心理学は別の見方をするかもしれない。

 ラマヌジャンが数学の方程式に奇妙な執着心を抱き、カーの本に載っていた定理の長いリストと格闘していたとき、彼は知らず知らずのうちに、何かについて深く理解するための最も強力な方法の1つを実践していたのである。