「大変でした。僕は田舎(佐賀医科大学)の学生で裕福でもなかったので、海外留学のための情報も人脈も何もない。スムーズに留学している他の医学生からすると、そもそもスタートからして遅かった。準備にもすごく苦労したし、なんとか目鼻をつけて渡米したものの、今度は英会話についていけない。

 仕事のスピードも密度も濃くて、短時間で膨大な仕事をこなすよう指示される。日本の臨床研修だったら、あそこまで追い込まれることはないし、必ず誰かが見ていてくれるので、何がしかのフォローが期待できるのですが、あちらにはそんなものはありません。

 人を騙す人もいるし、人種差別もある。パワハラを受けたこともありました。

 ドロップアウトしなかったのは、留学経験のある先輩から、『とにかく3カ月は我慢しろ。そこを乗り切ればなんとかなる』とアドバイスされていたお陰です」

 一方で、大きな収穫もあった。

「米国の感染症医療はやはり日本の先を行っていました。使える薬が日本ではないものが多数あったし、急性期病院の一般的なレベルより診断力も上だったと思います。日本では絶対無理だろうと思える数の患者と症例も多数診ることができました。国が違えば患者さんも違うし、病気も違います。あれだけいろいろな背景の患者さんを診る機会は、日本ではまずありえない。

 とにかく、たくさんの数が診れたのも大きかったですね。研究者として、自分の専門領域の全体像を把握するために、まんべんなく、全部見ておきたいという気持ちがあったので、その素地ができたのもありがたかったです。

 強烈に忙しい中、死に物狂いで頑張りましたが、本当に、あの時代があったから今がある、大切な財産です」

 素晴らしい出会いにも恵まれた。

「ある先輩に大変お世話になりました。今もたまにメールし合います。

 彼は僕の“やわ”なところが見ていられなかったんでしょう。米国での闘い方や自分自身の守り方みたいなことを、厳しくも親身に伝授してくれました。厳しいのは当然で、彼自身外国人で、渡米して、ものすごい苦労をして、立場を確立した人だったので、よく知っていたんです。どんな場面でいじめられるかといったことまで、全部教わりました。

 例えば、これ今だから言えますが、僕は帰国するころ、とある研究に携わっており、最後にデータをとりまとめる段階にありました。するとある日、職位が上の人間がやってきて、『お前にはもうそのデータは必要ない、全部よこせ』と言ってきたんです。『何言ってんだ』と思いましたが、そんなことは経験したことがなかったので、どうしたらいいか分からない。相談したら、敵と直接対決しなくとも、頭越しに上司と交渉する手段もあるなど、即座にうまい対応の仕方を教えてくれました。『なるほどなぁ』と感心したし、日本ではそのような経験がなかったので、『平和な世界だったなぁ』と思いました」