今年のプロ野球の開幕日さえ決められない、テニスのウィンブルドン(全英オープン)も第二次世界大戦時以来の中止を決めた。そんな状況下で、なぜオリンピックだけは「次の約束」を決めたのか? 果たしてそれは、国際社会の一員として、正しい態度だったのか?

 世界の各地で「緊急事態宣言」が出され、「外出禁止」や「都市封鎖」などが現実に行われている。

 これほどの世界的苦難を前に、私は、スポーツマンとして育ってきた矜持をどう発揮できるか、自問自答を続けている。

スポーツマンとして相応しい行動は
感染防止を最優先することではないか

 スポーツに学び、スポーツで自己の心身や発想、そして判断力を鍛えてきた。いまこそ、そのスポーツで培った英知を活かし、社会の一員として賢明な行動をしたい。

 我慢も必要だろう、先入観や思い込みを捨てることも、この異常事態の中では必要だろう。

 何しろ、ほとんどすべての職業人たちが、通常の仕事を規制されている。営業しなければ生活できない。それでも仕事をするな、営業するなと求められ、感染防止のためにやむなく協力する選択を受け入れている。

 ならば、スポーツ人が率先してその先頭に立つのは当然だ、とスポーツマンシップに誇りを持って生きる私は考える。

 昨年のラグビーW杯のときすっかり有名になった「ワンフォーオール、オールフォーワン」の精神はまさにここにある。活動を停止することがウイルス感染の元を断つならば、できるかぎり交流を伴う活動を停止するのは当然だろう。

 各スポーツが試合や大会の中止だけでなく、練習を中断するのもやむを得ない。かつてこのような経験は、我々が生まれる以前の戦時中にしか経験がないことだろう。世界の頂点を目指すスポーツ選手が練習を中止することなど、ケガでもない限り必要がなかった。動ける身体なのに練習しないのは究極の苦痛を伴うだろう。しかし、動かないこと、集団での練習を中断することはいま新型コロナウイルスの感染拡大防止のためにできる最大の選択なのだ。

 それがわかったら、スポーツマンなら、自分の欲求や前向きな使命感を押しとどめ、最大限、感染防止を最優先して行動することこそが、「自己が世界一になること」以前にもっと重要な「世界の一員としての務め」ではないか。いま世界は、ある意味で戦争以上に危険な敵に襲われている。地球人全員の協力と一致団結が求められている。スポーツマンがそのムーブメントの醸成に貢献できたら何よりだと思う。