小学校の卒業前に受けた地元の愛媛FCのセレクションで、長友は不合格となっていた。傷心のまま門を叩いた西条北中のサッカー部は、例えるならばドラマの『スクール☆ウォーズ』のように荒れていた。反抗期を迎えたこととも相まって、長友の髪の毛は金色に近い茶髪だった。

 西条北中でサッカーを続けていくことに失望したのか、上級生に連れられて放課後のゲームセンター通いを始めた長友を、美枝さんは「むしろ逃げ場があってよかった」と受け止めていた。そろそろお腹が空くだろうと、夏休みには弁当を作ってゲームセンターへ届けたこともある。

「学校をサボってゲームセンターに行く、というレベルまでは達していませんでしたから。タバコを吸うような不良の先輩たちと一緒だったとしても、いろいろな人と付き合うのが佑都の勉強になるだろうと思っていたので、小さなことは気にせずに佑都が飽きるまでは、自分で『もうやめよう』と気がつくまでは、好きなようにやらせておけばいいと考えていました」

歯痒さを覆い隠し
本人の翻意を待った

 長友の入学と同時期に西条北中へ赴任し、サッカー部顧問に就いた井上博教諭が懸命に説得したことで翻意した長友は、再びサッカーへの情熱を取り戻した。髪の毛の色も黒となり、最上級生になる頃には成長期とも重なって、技術と体力が著しく伸びたと美枝さんの目には映った。

「親のひいき目を除いても、他の子どもたちとは明らかに違うレベルにあると感じました。もしも転機が訪れるとすれば高校進学の時だと思ったので、私としては勝負をかけてほしかったのですが」

 しかし、家計を心配した長友は、推薦をもらっていた愛媛県内の公立校への進学を決めていた。父親と叔父が著名な競輪選手だったことから、自らを「勝負師の家系で育った」と自負する美枝さんは、長友に対して募らせた歯痒さを、ああしろ、こうしろと押しつけない放任主義で覆い隠し続けた。

 長友の心の中に大きな変化が生じたのは、中学3年の夏休みだった。推薦入学する予定の高校との練習試合に出場するも、相手のレベルの低さに落胆したのか、今も恩師と慕う井上教諭へ、ハーフタイムに「これで全国を狙っとるのか。オレには何も伝わってこん」と吐き捨てるように訴えた。

 さらに美枝さんには「もっと強い高校でやってみたい」と直訴した。希望したのは当時の高校サッカー界の最強校として君臨していた東福岡。胸中で「佑都、勝負しろよ!」と叫び続けていた美枝さんは、進路変更を相談された瞬間の心境を「心の中でガッツポーズを作りました」と振り返る。

 もっとも、当然ながらお金の問題が頭をもたげてくる。入学金と授業料だけでなく部費や寮費、海外を含めた遠征費などを工面した方策を、美枝さんは「頼りになるのは奨学金だけと思い、最終的にいくらになるのかも計算せずに、あちこちから集めました」と笑って明かしている。