選出された23人の代表メンバーの平均年齢が過去最高の28.22歳に達するなど、ワールドカップ・ロシア大会の開幕を前に、思わぬ批判にさらされている西野ジャパン。同じく過去最多の8人を数える30歳以上のベテラン陣の中で、心技体のすべてで充実感を漂わせているのが31歳のDF長友佑都だ。今年1月に移籍した新天地ガラタサライ(トルコ)へ瞬く間に溶け込み、サッカー人生で初めてとなるリーグ優勝も経験。トップフォームと輝きを取り戻して日本代表に合流した背景には、波瀾万丈に富んだサッカー人生で長友を成長へと導いてきた、国境や文化を超えた「愛される力」が働いている。(ノンフィクションライター 藤江直人)
無名選手から日本代表、インテルへ
「成り上がり」のサッカー人生
開幕がいよいよ目前に迫ってきた、ワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表に選出されている本田圭佑(メキシコ・パチューカ)は、セリエA(イタリア)の名門、ACミランで「10番」を背負った自らのサッカー人生を「成り上がってきた」と表現する。
ガンバ大阪ユースへの昇格がかなわず、石川県の名門・星稜高校へ進学して捲土重来を期した。全国高校サッカー選手権ベスト4の実績を引っさげて2005シーズンに名古屋グランパス入りするも、2008年1月に移籍したVVVフェンロー(オランダ)では2部降格を味わった。
2010年1月に加入したCSKAモスクワ(ロシア)では、UEFAチャンピオンズリーグで演じた痛快無比な活躍が当時の岡田武史監督をも魅了。日本代表におけるエース拝命につながり、小学生時代から夢見てきていたセリエA移籍をも手繰り寄せた。
確かに紆余曲折を経てきたと言っていい。しかし、同じ1986年生まれの盟友で、本田とともに3大会連続のワールドカップ代表に名前を連ねている長友佑都のサッカー人生を振り返れば、本田を凌駕するスケールで成り上がってきた軌跡に目を奪われる。
愛媛県西条市で生まれ育った長友は、1999年春の市立西条北中学への進学を機に愛媛FCジュニアユースの門を叩くも不合格。高校は全国区の強豪・東福岡へ越境入学したが、全国の舞台で目立った成績を残せない。本田のようにJクラブからはいっさい声がかからず、スポーツ推薦ではなく指定校推薦で明治大学政治経済学部へ入学した。