日本が社会を維持していくためには、「内なる国際化」が必要となる

 また、実習生たちの日本語は、集中トレーニングを数カ月受けてくるとはいえ、たどたどしいものです。それに、車の運転が許されず、地方では病気になっても自分で病院にも行けません。暑い国から来て冬の寒さにも慣れていません。ゴミの出し方も教えないとトラブルになります。要するに、実習生は生活面では子どものように手間がかかるのです。

 つまり、家族的な職場に、家族想いの実習生が来て、生活の世話を焼いてもらって暮らしだす。この出会いの歯車がピタッとはまって、それぞれの心に「家族的なケアの会社に出会えてうれしい」「かれらのおかげで行き詰まった会社に展望が開けた」という気持ちが生まれたとき、好循環が回り出します。

 実習生のほうは熱心に働き、もちまえの笑顔で職場のムードを明るくする。会社のほうは、仕事が前よりうまく回り出し、積極的に営業に出る意欲まで出てくる。

 こうした成功パターンは必ずしも狙って奏功するとも思えませんし、受入企業すべてにあてはまる方法でもありません。が、ただ、ここにはいくつかたいせつな教訓が見て取れるように思えます。たとえば、

・メリットは双方にあると感謝しあうこと
・家族想いという価値観で共感をもつこと
・日本側が世話焼きを厭わないこと

 これらは総じていえば、「思いやり」という一語に尽きるのかもしれません。

 外国人労働者を受け入れ、どううまくやっていくか……。これは受け入れた会社にとって存続に関わる切実な経営課題です。

 これとまったくおなじことが、日本社会全体についてもいえると思います。

 今後の日本を考えたとき、人口減少と高齢化だけでなく、災害の激甚化や大地震が予想されています。介護施設から老人を避難させるにも、壊れた土手を修復するにも、流れ出た土砂を搬出するにも、すべて人手が必要です。インターネットや人工知能の技術革新ではまかなえない人手の部分が不足します。

 これまでの日本人の「国際化」は日本から世界に製品を売らんかなのための「国際化」でした。これからは人手不足を補うための、日本が社会を維持していくための「国際化」、いわゆる「内なる国際化」が必要です。

 いまの実習生の例でいうなら、文化背景の異なる外国人を仲間にし、感謝したり共感したり、世話焼きしたりといったようなことを、社会全体でやれるのかということです。

 わたしが回っている東北の会社の中でも、とくに成功例と思えるところは、みなさん、それを会社ぐるみで、しかもどこかおもしろがりながら実践していらっしゃいます。それがはたして日本全体でやれるのか。

 これはもうソーシャル・イノベーション(社会変革)の試みです。専門家の議論など届かないローカルな仕事の現場で、そうした果敢なチャレンジがいま着々と増えています。

※本稿は、インクルージョン&ダイバーシティマガジン「オリイジン2020」の掲載記事を転載(一部加筆修正)したものです。