「何が正しいのか?」を、自分の頭で考える
ただし、だからと言って、参謀が「自律性」を放棄していいわけではありません。
むしろ、「自律性」を失った参謀は、その一点だけで「参謀失格」と言わなければなりません。なぜなら、完全な上司などこの世には存在しないからです。上司の不完全性を補うのが参謀の最重要任務だとすれば、参謀は、上司とは独立した思考力・判断力をもつ「自律した存在」でなければならないのは自明のことでしょう。
これは、秘書課長時代に、私が社長に求められたことの「本質」でもあります。
社長は、「お前はおとなしそうに見えるが、上席の者に対して、事実を曲げずにストレートにものを言う。俺が期待しているのはそこだ」と私に言いましたが、その含意は、「お前の自律性に期待している」ということだったのだと、いまは考えているのです。
実際、こんなことがありました。
アメリカの名門企業・ファイアストンの買収交渉での一幕です。ある「法的拘束力」のある契約の取り扱いをめぐって、社長との間に緊張が走ったことがあります。
これだけ大きなプロジェクトであれば、非常に多くの「法的拘束力」のある契約を結ぶ必要がありましたが、そのなかでも特に、問題になった契約は非常にデリケートな内容を含んでいました。万一、その情報が社外に漏れてしまえば、相手との守秘義務契約違反になるうえに、株価に大きな影響を与えかねません。
ところが、一般的にそうですが、ブリヂストンの社内規定でも、「法的拘束力のある契約」を結ぶ際には、必ず取締役会の承認を得ることと定められています。当時、二十数名いた取締役会で、案件の詳細を示す必要があるわけで、それは情報漏洩のリスクを冒すことにほかならなかったのです。
「秘密裏に進めるほかないか……」
これが、社長の判断でした。その気持ちはよく理解できました。情報漏洩のリスクはあまりにも大きい。しかも、ファイアストンの買収自体はすでに取締役会の承認を受けており、その契約自体は、このプロジェクトを進めるための数々の施策の一つに過ぎない。したがって、その承認のなかに含まれていると解釈できなくもない……。
しかし、私は「その判断は間違っている」と思いました。
今回の契約を取締役会にかけないで進める方法は「黒」とまでは言えないにしても、絶対に「白」ではない。「グレー」の判断なのです。ここは、1ミリの隙も無く手堅く進めた方がよいと考えました。
契約の締結までは「秘密裏」に進めることができたとしても、あとでそれが公になると、社内外にいらぬ混乱を招き、不信感をもたれることになります。そんな危ない橋を、社長に渡らせるわけにはいかない。ルール(手続き)を遵守するのはビジネスの原理原則。その原理原則を曲げないのが、最もリスクの少ない「正しい選択」だと考えたのです。
上司との「対立」に陥らないために
必要なことは何か?
そこで、私は静かに反対意見を述べました。
しかし、社長も引き下がらない。
「お前に言われなくても、そんなことはわかっている。それを踏まえたうえで何とかならないかと言ってるんだ」
私を睨みつけながら、いつになく激しい口調でまくし立てました。すごい迫力です。思わずひるみそうになりました。
しかし、この一線を譲ったら、結果として、社長を貶めることになりかねない……。ただ、社長と対立しても始まらない。必要なのはアイデアです。社長が恐れているのは「情報漏洩」。そのリスクを最小化できれば、社長は取締役会の開催に反対する理由はなくなるからです。
1分ほど気づまりな沈黙が続いたころ、ハッとひらめきました。
思いついた作戦はこうです。通常、取締役会では、基本的にすべて資料ベースで個人配布。メモはもちろん無制限ですが、今回は、取締役会でのメモは一切禁止。大事な資料は紙で配るのではなく、すべてプロジェクターで画面に映すだけ。配らざるをえない資料も一部あるが、それも会議終了後すべて回収する。それでも情報漏洩のリスクはありますが、詳細の数字・情報のすべてを短時間に記憶するのは不可能ですから、そのリスクを最小化することができる、と考えたのです。
私のアイデアを聞いた社長は、しばらくの間、一点を凝視しながら考えを巡らせていました。そして、一言だけ発しました。「わかった。それでいこう」。ほとんどケンカ腰だった社長が、ぶっきら棒な言い方ではありましたが、私の意見を認めてくれたのです。