坪井東,三井不動産
 三井不動産の社長を1974年から87年の13年間、その後会長を9年間務めた坪井東(1915年5月1日~1996年7月5日)。在任中は、東京・新宿の新宿三井ビルディングの竣工や、東京ディズニーランドの開園事業に携わった人物だ。「週刊ダイヤモンド」1977年7月30日号には、社長時代のインタビューが掲載されていた。

 インタビューでは新宿副都心計画が話題に上っている。かつて新宿駅の近くにあった淀橋浄水場の移転に伴い、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設する「新宿副都心建設計画」は、東京都が60年に策定したもの。71年に浄水場跡に京王プラザホテルが開業すると、これを皮切りに70年代から80年代にかけて、高層ビルが次々に建設された。新宿三井ビルもそのうちの一つで、坪井が社長になった74年10月に竣工した。地上55階、地下3階、高さは225mで、当時は日本一高いビルだった。

 まさに新宿再開発の真っ最中のタイミング。記者の「これから、新宿にどういうものができてほしいと思いますか」との質問に、坪井は「僕は、本当は東京都庁がここに来るべきだと思いますよ」と答えているのが興味深い。当時、東京都庁は丸の内にあった。現在、東京国際フォーラムのある場所だ。

 坪井は、多摩地区を中心に東京の発展が西へ広がっているのに、都庁が丸の内にあるのでは東京の東に寄り過ぎていてバランスを欠いていると指摘し、「新宿は東京都全体のちょうど真ん中にあるんです」と答えている。しかし、「東京都には、新宿をどのように育てるか、都市の中でどういう機能を持たせるかという意思とか意欲があるべきなんだけど、どういう考えを持っているのか本当に分からんです」と、自治体や国の都市政策の姿勢を嘆いている。当時にすれば、都庁を新宿に持ってくるという坪井の構想は、まだ広く認知されたものではなかった。

 実際に、新宿への都庁移転が具体化し始めたのは、このインタビューから2年後の79年に都知事に就任した鈴木俊一の時代からだ。東京都議会の議事録をさかのぼったところ、鈴木が都庁を新宿に移転するという腹案を議会で口にし始めたのは80年代に入ってから。「東京の“重心”を西に移す」という鈴木の主張と、前述した坪井の考えと見事に一致する。鈴木はその後、自身が掲げる「マイタウン東京」計画のシンボルとして新宿への都庁移転を推し進め、85年に都議会で移転が決定する。そして90年12月に新庁舎が完成し、91年に丸の内の旧庁舎から業務が全面移管された。

 こうした“結果”を知っているだけに、その直前の70年代になされた坪井の発言は、まさしく先見の明があったといえるだろう。(敬称略)
(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

新宿に本社を移して2年
思いの外住み心地はいいね

1977年7月30日号

1977年7月30日より 拡大画像表示

 いまは土地開発事業が全部駄目になっちゃって、非常に残念だね。民間デベロッパーはアメリカで非常に大きな力を持っているんだけど、日本にはそういうものがなくて、われわれはどちらかというと、パイオニアだったね。

 高度成長時代には、確かに相当実績を上げましたよね。僕は飛行機で羽田を出入りするとき、いつもあの辺の埋め立て地を見下ろすんだけど、千葉県の沿岸地域、あの辺は全部われわれが埋めたんですよ。計画地帯は1000万坪ぐらい。半分ぐらい埋めたかな。

──当時、ケタ違いに大きなしゅんせつ船を持ち込んできて……。

 そうそう。アメリカから持ってきて、ずいぶん埋めたなあ。……夢みたいなものだな。もう駄目だね(笑)。