「いつか来た道」か
コロナ禍が変える生活保護への視線
今年2月、新型コロナと関連した「自粛」が始まって以来、筆者には懸念がある。職業や収入を失う人々が増え、世の中にストレスが充満するとき、どこの誰が「安全弁」に選ばれ、怒りのはけ口にされるのだろうか。
2008年、リーマンショックと派遣切りで、数多くの人々が収入や住居を失い、生活保護へのニーズが高まった。2001年に始まった「聖域なき構造改革」のもと、生活保護に対する締め付けは強まる一方であり、2007年には北九州市で「おにぎり食べたい」と書き残して50代男性が餓死する事件も起こっていた。
2008年末から2011年にかけては、2007年までと異なり、政策の方向性は生活保護を利用しやすくするものとなっていた。しかし2012年、お笑い芸人の母親が生活保護で暮らしていた事実が報道されてから、流れが一気に変わった。
おおむね10年後の2020年6月現在、「緊急事態宣言」は解除されたものの、コロナ禍のもたらす影響は深刻になるばかりだ。少なくとも2020年代の前半は、経済的打撃が残り続ける時期となるだろう。
向こう数年、生活保護へのニーズが減ることはなく、生活保護費は国と地方の財政に対する一定の負担でありつづけるだろう。確実に生活保護費を“節約”する方法の1つは、利用されにくいように締め付けることだ。
2012年、メディアや世の中には、生活保護への厳しい意見が充満し、年末には第2次安倍政権が発足した。2013年、生活保護基準の引き下げが実施され、生活保護法が改正された。以後、生活保護に関しては締めつけが進行する一方となっている。2020年の現在も、数年後の生活保護叩きの準備となる時期なのかもしれない。