少し引用が長くなったが、今回のコロナ禍による自宅からのテレワーク、リモートワークは、バーナードが明らかにした技師と同じ状況を、われわれにも明瞭に自覚させる機会となった。

 われわれの多くは会社員であると同時に、国民であり、市民であり、家族の一員であり、趣味の会のメンバーであり、子を持つ親であったりする。これまでは、多くの人が当たり前のように、圧倒的に会社員であることが中心であると考え、仕事をオン、それ以外をオフとし、オフのカテゴリーの中にほかの役割をぜんぶ放り込んでいた。しかしながら、通勤時間や客先への移動時間、あるいはオフィスにいる時間から、“魚釣りのことを考えていた時間”を引き算してみると、バーナードが言うように、会社とその仕事に携わっている時間は、実はたいして多くないし、実際、外出自粛でリモートワークをしてみると、四六時中会社員で居続けなくても案外仕事は回ることが明確になったのである。

オフィスは不要になるのか
働く「場」が規定する見えないルール

 以上のように、われわれは職場にいて、仕事をしているはずの時間も、その他多くの役割を果たす時間の一部でしかないことを痛感した。このことに気づいてしまうと、これまで通りわざわざ時間をかけてオフィスに行く必要はないのではないか、という議論もわき起こっている。しかし、話はそう簡単でもない。少なくとも皆が“協働する場”としてのオフィスには、家庭では感じることのできないさまざまな刺激に満ちており、これらは自分の仕事には関係なさそうに見えて、仕事の成果物の方向性や質を決定的に規定しているからだ。

 たとえば、オフィスには以下のような要素が存在する。

(1)言動を規定する価値観を掲示した物
――“Think different”といったスローガンや「大きな声で挨拶!」など生活習慣の標語が組織の価値観を示す。

(2)コミュニケーション形態を規定する普段の部署や会議室の席の配置
――席の作り方から、フランクに皆とコミュニケーションをしてよいのか、上下を明確に意識したほうがよいのかが明確に示されており、普段はその枠組みのなかでコミュニケーションが行われる。