調整型マネジャーの終焉
ディレクター型上司の時代へ
また、本来はこれらの全体の方向性と部署の方向性の調整を行うべき管理職ですら、自宅からの仕事となると、固定的・安定的なルーチンはよいが、流動的・進行的な業務はたいへん難しくなる。
管理職の仕事は自分の範囲の業務を遂行するだけではなく、会社全体の方向性(マクロ)と自分の持ち場における業務遂行(ミクロ)をつなぐことだ。マクロの変化に合わせてミクロを調整し、ミクロで発見した状況や知見をマクロに反映させることが求められている。
しかし、これまでは実際のところ自ら先頭に立って、部下に方針を示したり指示を出したりする必要はなかった。毎日会社に社員が来て、数限りない、いろいろな会議にたくさんの社員を参加させることができた。管理者が明確に会社の方向性や戦術を明示せずとも、社員たちが多方面の情報を会議の場、打ち合わせ、なにより、会社にいる間の私的な会話などによって、おのおの自動調整することが可能であった。
管理職は随時これらの社員同士の情報共有の間のコーディネーション(場の設定と調整、つまり会議をたくさん開いたり、打ち合わせをするために社員を呼びつけたりする)だけをしていれば、ことさら何もしなくてもよかったのである。そのために膨大な時間が使われ、社員は会議だらけになり、自分の役割を果たすための仕事の時間を合わせると、いきおい長時間勤務となったが、それはそれで機能していた。
しかしながら、テレワークにより、これらの個々の社員による情報共有のための膨大な時間がなくなってしまった。すると、社員一人ひとりから会社の(3)興味関心範囲(時間・空間意識)、(4)エネルギー発現から見える優先順位などの情報が消え、また(5)社会的プレッシャーも弱まり、(6)褒める、叱る行為から見て取れる規範意識も見えなくなり始めた。社員はそもそも集まる場がないので、なにも勝手に感じ取ってはくれないし、最終的には(1)で示されるような会社の価値観すら、希薄化してしまう。
ここまで来ると、協働の前提が崩れかねない。そんなことから、管理職はそれぞれの社員に対して、しっかりと会社の向かう方向、戦術、個々の役割の明示、成果についての修正ポイントなどを明示的に言語化していかなければならない。これまでのコーディネーター的な役割ではなく、ディレクター的(指示的)な役割が重要になる。