そしてパーティが終わると、私はタルトには手をつけず、目についたお酒を手当たり次第に飲んでいた。しかし、これがいけなかった。口から吐しゃ物がほとばしり、水平の軌道を描いて居間の壁に達し、跳ね返って、酔いつぶれて残っていた女性客にかかった。

このパーティの打撃から立ち直るのに3日かかった。ベッドに横たわって身じろぎもせず、目だけを電話の液晶画面に注ぐ。お礼のメッセージが次々と流れたが、そのどれもが同情をにじませていた。どうして? 「夜の女王」と言われた私が、男たちをもて遊んでいたはずの私が、どうしてこんな惨めな思いをするの?

彼から電話がかかってきた。

私は出なかった。言い訳を聞く気分にはなれなかったから。

でも、結局我慢できずにメッセージを聞いた。そこには「とても楽しいパーティをどうもありがとう!」と吹き込まれていた。

若さという身分証明書を失った私は、次の三つに賭けることにした。気まぐれ(才気、軽やかさ、喜び、自虐……)とエレガンス(服装、外見、髪形……)、そしてライバルの失敗。

あの南仏の美女だって何かに欠けているかもしれない。そもそも、彼女にユーモアのセンスはあるの? これは彼にとっては譲歩できない要素のはず。男性は誰でも判断基準を持っていて、好みに応じてその平均点を出す。彼みたいに、冗談一つ言うのにも言葉を選ぶほど優しくて、いつもうつっぽく見える男性にとって、ユーモアは内面の深刻さを救うためにも絶対に必要な生きるための知恵。

彼のすべてが好きだった。でも、思いはかなわず、そのことに私は深く傷ついた。

いつも思うのだけれど、若くて美しい女性ほど、自分の欠点が許されると思ってしまう。でも50代になったときには、それが致命傷になりかねない。あざとさや気まぐれは、はつらつとしたほほ笑みに似合うものだ。男性も同様で、若くて美しいと、無教養でも優しくなくても、ユーモアに欠けていても、とてもケチでも、履歴書が空白で預金がゼロでも、すべて許されてしまう。これが年齢の代償の法則。

この頃、ひどく傷ついた自我を早急に修復する必要にかられて、近くの精神科に予約を入れた。医師は「サイン」を出すようにとすすめてくれた。タルト・パーティの失敗は忘れて、自分がフリーであることを、もっと積極的に周囲の男性にアピールすべきだと。私はそれを実行した。

せっかく見つけた運命の男性だったのに......しかし、実はこの恋はこのあと思わぬ展開を見せます。ミレーヌ・デクロー著・吉田良子訳の書籍『大人が自分らしく生きるためにずっと知りたかったこと』では、ほかにも著者や友人たちの実体験や、大人ならではのパートナー選びのコツについて、フランス人ならではのウィットに富んだ視点を、クスっと笑えるエピソードとともに多数紹介しています。