究極のわがままな思考=アート思考は、
ビジネスに取り入れられるのか

末永:ビジネスパーソンというと、組織として働かなきゃいけないわけですよね。でもアート思考はどちらかというと、わがままな生き方や考え方。その組織の一部であるべき人が、わがままを言えるようなアート的な生き方・考え方をするということに、どうやって折り合いをつけていったらいいのでしょうか。

若宮:これはですね、まだ結論は出ていないというか、まさに今それをオンゴーイングで実験している感じです。

最近だとティール組織とかいろいろな形が出てきていますが、僕の考えでも、組織が異質性を内包したものになっていかないと新しい価値がつくれないっていう時代にますますなっていくと思っていて。要は工場中心の大量生産の時代ではトップダウンでよかった。上が決めたことを、下の人が変わっても同じようにできるっていうのが求められていました。僕のアートシンキングの考え方でいうと「身体性」という言葉をよく使うんですけど、身体性って抽象的じゃなくて、頭で考えているのに身体はそうは動かないみたいなことってあるじゃないですか。

一人の人間の身体も一個の全体におもえるけど、実は色々なものの集合ですよね。それで、頭でばかり考える人は身体が思う通りに動かないっていう状況にイライラしちゃうんですけど、身体が感じてる事をもうちょっと面白がると言うか、それを活用してくみたいな感覚が個人にしても組織にしても大事だと思っています。

そういう考えもあって、自分の会社はもちろん僕が代表なんですけど、意思決定を上の人に確認するプロセス自体をやめてしまいました。これをバンドスタイルって呼んでいるんですけど、それぞれがやりたいと思ったらそれぞれの分野で判断する。例えばデザイナーだったらデザインのことは僕より詳しいのでデザイナーが決めてっていう具合に意思決定を分散化させちゃってるんですよね。これは一見、不合理とか非効率なこともあるんですけど、こういうあり方の組織をこれから作っていく必要があるというか、自ずとそうなっていくんじゃないかなと思っています。

あと、僕も大企業にいたことがあるんでわかるんですけど、自分がいくらアートシンキングだ!って言っても、上の人たちがアップデートされていないと全然話がかみ合わないことってあるじゃないですか。だから、どっかで体質改善のようなことが起こらないといけない。そういう意味ではコロナとかがそのキッカケになったりするのかなとも思っていて。ただ、まだこれが絶対にいい! とは言えなくて、僕も実験してる最中なので、もしかしたら3年後くらいには大失敗して、「それみたことか、トップダウンだろ」って言われている可能性もあります(笑)

考え方や技術の基礎は引き続き大切

若宮:アート思考が大切だと言っていると、既存の枠組みとかにはもはや意味がないって言っているように捉えられてしまいがちです。でも、決してそういうわけではなくて、もちろん基礎的なことも大事ですよね。先ほどの末永さんの話で言えば、技術の探究もすごく面白いなと思うんですけど、やっぱり基礎的なところとか、芸事で言うと「守破離」みたいなのがありますけど、そういうベースが全く無意味になったわけじゃないですよね。

末永:そうですね。私ももちろん教育をすべてアート思考的なものに変えようとかは全然思っていません。私が思っているのは今の教育は、まだまだ知識や技能を身につけることに偏りすぎているんじゃないか、それも当然必要だけれども、もっと自分を軸にした探究を取り入れていきたいということなんです。

究極のわがままな考え方=アート思考は、ビジネスに取り入れられるのか?

それと直接はつながりませんが、『13歳からのアート思考』の中での問いの一つに「リアルってなんだろう?」というものがあります。そこではピカソの絵画『アビニヨンの娘たち』を例にとって、従来の写実絵画とはまったく別のものの見方を示しています。すると、この本を読んだ人から「でもリアリティある絵があってもいいじゃないか」って言われたことがあるんですけど、これも同じで、「リアルは捨てて全部を抽象画にしていこう」とか、「ピカソのものの見方を取り入れていこう」とか言いたいのではないんです。

美術史でいえば、ルネサンス以降の画家たちは「リアルに世界を再現する」という視点しか持ち合わせていませんでした。そのための方法として、「透視図法」や「明暗法」などを生み出したわけです。それが20世紀に入って「カメラ」が登場したことによって、「アートには写実だけではない、もっと他の可能性があるんじゃないか」と探ったことによって、アートの可能性が開けたところに意味があると思うんです。様々な選択肢の中から、表現方法を自分で選ぶようになった。このようにたくさんの可能性を知った上で、自分はリアルに描きたいとか、抽象画を描きたいとか、まったく別の方法で描いてみたいとか、そういうことが大切だと思います。