つまり、日本軍からすれば、「熱中症で何人か脱落者が出る」くらいの行軍は、いつも通りの平常運転だったのだが、そういう「しごき」を受けていない米軍の捕虜には、「非人道的な死の行進」になってしまったというわけだ。

 さて、おわかりだろう。このあたりの「脱落者」を前提とした人材育成というのは、脈々と現代の日本にも受け継がれている。

 たとえば企業でも、新入社員を採用する際、人事担当者は1年目、2年目に脱落していく者を想定して募集の数を決めるだろう。皆さんも職場で、「今年の新卒は何人残るかな」といったことを当たり前のように話していないか。

 日本の組織というのは、「脱落者」がいることを前提にしてマネジメントされているのだ。

「根性部活」の精神修養に
欠かせない、暑さの訓練

 では、なぜ我々は誰に教わるわけでもなく、そのような脱落者ありきの組織運営が当たり前だと思うのかというと、学校でそう習うからだ。中でも特にわかりやすく、この思考をゴリゴリに子どもたちに刷り込んでいるのが、「部活動」である。

 最近はバタバタと子どもが死んだので、ようやく少し配慮をするようになったが、高校野球に代表される「根性部活」では、声出し、上級生の身の回りの世話、大きな声で挨拶などなど、本来スポーツとは無縁の「精神修養」を強いる。日本軍と同じで、心を鍛えれば個人は凄まじい力を発揮して、強いチームをつくれるという考え方が、いまだに根強いのだ。

 そして、その「精神修養」に欠かせない試練の1つが「暑さ」である。凄まじい暑さの中でフラフラになりながらも、白球を追いかけて、大声を出し、全力で走れる者は、「部活」という組織の中で評価をされる。技術のあるなしではなく、そういう試練から脱落しないということが、部活動では何よりも大事なのだ。