何百年も前に作られた経典の中にも、実はアセンションと同じものが説かれていたし、日本人が祖先より受け継いできた日常的な習慣の中にも“自分の中のブッダ”を無意識に自覚してきた証がある。
この連載は、それぞれの立場から“悟り”について語った
二人の共著『みんながブッダ』付属CDに収録されている対談から
一部抜粋・編集して全4回にわたってお送りしています。
仏教の経典の中で
すでに言及されていたアセンション
阿部:ブッダズランド。
これはキリスト教的に言えば、天の王国じゃないね。天の王国を地上にもたらすわけで。
これは、テクノロジーの進化とか進歩とかそういうことじゃなく、人間の意識の変革によって起きるわけで、これはもうその気になれば、今この瞬間にも起こりうる可能性を持ったものだよね。
向:そう、その通り。というのは、たとえば、「普回向(ふえこう)」というお経なんか、まさにそう言ってるわけよ。
「われらと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを」で締めくくっている。
われわれは、みんなブッダなんだよ、そのことを思い出し、そのことをお互いに確認し合って、そういう大きな仏の自覚のブッダとなっていく道をともに歩みましょう、と言ってるわけ。ずいぶん昔から。
だから、アセションよ、あれ。
阿部:アセンション?
向:ああ、アセンションか(笑)。
まさにそれを、大昔から仏教でも何とか引き起こそうとしてやってるわけ。
阿部:なるほど。言ってみれば、禅という存在も、そういう運動だったわけだ。
向:そう、そういう運動だった。
本当は生きとし生けるものがみんなブッダという自覚を促そうということだから。まさにそれがほんとに起こった時は、アセンションじゃないかな。