「お辞儀」という習慣に込められた
本来の意味
阿部:これ、聞いた話なんだけど、日本にはお辞儀をする習慣があるじゃない。
たとえば相撲なんかでも、横綱と前頭が、相撲をとる時もお互いに礼をする。
普通は偉い人に礼をするんだから、前頭が横綱に礼をしても、横綱は礼をしないんだろうけれど、みんながするじゃん。
日本は、たとえば社長だろうと、あるいはフリーターだろうと、会えば「こんにちは」って頭を下げる。
これ、何に対して頭を下げてるかっていうと、本来の意味は、その人の内なるブッダに頭を下げているということらしいね。
そういうことを智慧として、われわれは日常の習慣の中に今でも受け継いでいるんだ。
向:だって、頭を下げるっていうことは、ある意味、全幅の信頼だもんね。
一番自分の弱いところを見せるんだから。
阿部:そうだよね、頭の後頭部を。
向:そうそう。相手を敵とみなせば、そういうことはできない。
だから、みんながブッダだ、お互いにブッダだと、上下の隔てを超えて尊敬し合うという精神性が日本には豊かに流れている。
阿部:そう。あるんだよね。
社長だとかフリーターだとかいうのは、社会的な役割であって、人間の価値を表しているものじゃない。
人間の価値っていうのは、普遍的な中の大いなるものとしての絶対的な価値。
比べようのない唯一無二のもので生きているわけだから、比べようのないわけだよね。
そこにみんなが気づくと、これは楽しいね。
向:楽しいねえ。ぜひそうありたいね。
阿部:ありたいね。でも、そうなるんじゃないですか。
向:いや、まさにほんとに起こりつつあるね。なんかそういう感じするでしょ。
阿部:もう、すごくする。僕はブログをやっているから、コメントをいっぱいもらう。そうすると、「覚者」がたくさん来る。