「お辞儀」という習慣に込められた
本来の意味

阿部:これ、聞いた話なんだけど、日本にはお辞儀をする習慣があるじゃない。
たとえば相撲なんかでも、横綱と前頭が、相撲をとる時もお互いに礼をする。
普通は偉い人に礼をするんだから、前頭が横綱に礼をしても、横綱は礼をしないんだろうけれど、みんながするじゃん。
日本は、たとえば社長だろうと、あるいはフリーターだろうと、会えば「こんにちは」って頭を下げる。
これ、何に対して頭を下げてるかっていうと、本来の意味は、その人の内なるブッダに頭を下げているということらしいね。
そういうことを智慧として、われわれは日常の習慣の中に今でも受け継いでいるんだ。

【最終回】<br />日本人は、古来から<br />“ブッダ”が何かを深く理解していた<br />向令孝(むかい・れいこう)1947年、大阪生まれ。高校3年生の時、父の急逝を目の当たりにして無常を観じ、関西学院大学1年生の時、たまたま臨済禅師の言葉「無位の真人」に出会って衝撃を受け、禅に傾倒し、現方広寺派管長・大井際断老師について参禅修行を始める。最初に参加した7日間不眠不休で坐禅をする荒行にて、いきなり見性(悟り)する。大学卒業後、大手流通企業に就職するが、29歳で出家得度し、6年間の雲水修業を経て兵庫県の相国寺派法雲寺住職となる。1987年より毎年ドイツに行き参禅指導を続ける。1995~2011年まで臨済宗方広寺山内の奥山青壮年研修所所長を務め、2007~2011年まで臨済宗方広寺派教学部長を務める。現在は浜松市の方広寺派祥光寺住職。 http://imakoko.hamazo.tv/

:だって、頭を下げるっていうことは、ある意味、全幅の信頼だもんね。
一番自分の弱いところを見せるんだから。

阿部:そうだよね、頭の後頭部を。

:そうそう。相手を敵とみなせば、そういうことはできない。
だから、みんながブッダだ、お互いにブッダだと、上下の隔てを超えて尊敬し合うという精神性が日本には豊かに流れている。

阿部:そう。あるんだよね。
社長だとかフリーターだとかいうのは、社会的な役割であって、人間の価値を表しているものじゃない。
人間の価値っていうのは、普遍的な中の大いなるものとしての絶対的な価値。
比べようのない唯一無二のもので生きているわけだから、比べようのないわけだよね。
そこにみんなが気づくと、これは楽しいね。

:楽しいねえ。ぜひそうありたいね。

阿部:ありたいね。でも、そうなるんじゃないですか。

:いや、まさにほんとに起こりつつあるね。なんかそういう感じするでしょ。

阿部:もう、すごくする。僕はブログをやっているから、コメントをいっぱいもらう。そうすると、「覚者」がたくさん来る。