講演当日、英語で話すダライ・ラマのために、演壇横に通訳アシスタントが立っていました。ダライ・ラマが少し英語に詰まったときに講演をサポートする役割です。

開始5分くらい経った頃でしょうか。

「さて、今日のレクチャーですが……」

ダライ・ラマが講演タイトルをいおうとしたとき、英語に詰まってしまいました。

その瞬間、アシスタントが、

「思いやりの中心性(Centrality of Compassion)」

といったのがマイクに拾われました。

聴衆の中に、静寂が流れます。

招待講演中に、タイトルを忘れてアシスタントがリマインド? そんな「ピンチ」の凍りついた静寂を、聴衆6000人全員が固唾(かたず)を呑んで見守っていました。

すると、ダライ・ラマが沈黙を破ってひと言。

「いろいろなタイトルで、いくつもの講演をしてきました。しかし、タイトルを気取ってみても、私のメッセージはだいたいいつも一緒なんです」

会場は再び微笑みに包まれました。

現代のスピリチュアル・リーダーとしてのカリスマ性がありながら、このざっくばらんな世俗的な感じは何だろう?

宗教も歴史も乗り越えたダライ・ラマの見事な講演に聴衆全員が引き込まれていきました。