新渡戸稲造と武士道精神

このシーンを引き合いに出しながら、武士の規律や考え方の根底にある「武士道」の価値観を説明したのは、旧5000円札(1984年から2007年まで流通)にも描かれた、新渡戸稲造(1862-1933)です。

新渡戸稲造は明治に活躍した日本人の思想家です。

明治初期にアメリカとドイツに留学し、1900年に英文で『BUSHIDO : The Soul of Japan』(以下、『武士道』)を出版。

明治時代、帝国主義日本が台頭していく中で、日本文化への注目が高まっていた頃、「日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか?」という外国人の疑問に答える内容で、世界各国で翻訳され、大ベストセラーになりました。

「武士道」という言葉自体が、この本によって普及したといわれているほどです。

そもそも武士道は、日本の近世における武士階級の習慣や道徳のこと。武士であるからには、こう生きるべき、こうすべき、こうしてはいけないなど武士階級の常識や習慣が口づてに引き継がれてきたものです。

鎌倉時代には、戦(いくさ)でのベストな戦略や武士として身につけるべき慣習や知恵などという位置づけだったものが、江戸時代以降に儒教や仏教と融合し、思想として体系化されます。

武士制度が廃止されてからの近代日本でも、日本人の思想や文化の重要なバックボーンになりました。

長く欧米文化の中で暮らしてきた新渡戸稲造は、西洋人が日本文化を理解するには、武士道の理解が欠かせないと考えました。

世界の宗教や哲学と日本文化を比較し、正義や礼儀、名誉や忠義などの武士道的価値観を徹底解剖して、日本文化に親しみのない世界の人々に発信していったのです。

その『武士道』の中で基礎的な価値観として議論されているのが「Benevolence」、日本語で「慈愛」です。

つまり、他人の痛みを感じたりいたわったりする心のことです。

新渡戸稲造は、その「慈愛」が武士道において最も高次元の「徳」であり、武士にとって一番大切な価値観だと説きました。

私たちになじみ深い「武士の情け」の考え方も「慈愛」に基づいています。

この「慈愛」を説明する際に新渡戸稲造が引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーンです。

武士道において、首を取っていいのは相手の階級が上か、少なくとも同等の力を持った者との戦のときだけ。熟練した武士である熊谷直実が敦盛の若々しい顔を見たとき、自分より力の弱い下級武士とみなし、自分が斬るべき相手ではないと判断したのはそのためです。

一方で敦盛は、平家の血筋の中で「自分のほうが身分が上」ということがわかっていたはず。

そのため、直実からの武士の情けは無用。首を取るようにけしかけたのでした。

最後に熊谷直実が涙するシーンから、将来ある若者を斬らねばならない痛みも察することができます。