「会計って、そのようないい加減なものなのですか?」

 由紀は納得できない。会計のことは全くわからないにしても、そんなことがあって良いものか、と思った。

「会計はいい加減ではない。僕は会計の本質を話しているのだ。会計は自然科学のように絶対的な真理を追求するものではない。ルールの上に立った相対的な真実を追求するものなのだ。会計はルール違反を嫌う。恣意性が混入するからだ。恣意性を排除するための大前提が『ルールの継続適用(※9)』だ。ちょうど道路交通法のようなものと考えたらいい」

 安曇は、会計を道路交通法に例えた。

 日本では車は左側通行、アメリカでは右側通行だ。どちらが正しいというものではない。しかし、いったんどちらかを選べば、そのルールは守り続けなくてはならない。ルールの絶対的な正しさは問題ではない(本当は右側通行が正しい、などという人はいない)。会計も同じ考え方の上に成り立っている。ルールを守り続けていれば、それが正しいのである。

 会計ルール(※10)が絶対的な真実を求めない以上(もし求めれば、会計ルールそのものが収拾がつかなくなるほど複雑化する)、そのルールを適用した結果としての利益は、絶対的に正しいとは言えない。会計における正しさとは、恣意性が入らないという意味なのである。

 また、会社が選択する会計ルールはいくつか用意されているし、その選択は会社の意思で行うことができる。ここでも会社の主観が入る。

 さらに、多種多様な業態の会社を、限られた会計ルールで表現しようとしているのであるから、そこで描き出された結果(決算書)は、会社の実態の正確な写像ではなく、要約された近似値(※11)にならざるを得ない。

 しかも、金額が確定していない費用は、合理的に見積もって計上することが要求される。ここでも会社の主観が入り込む。以上のように、会計数値は主観が入り込んだ要約された近似値なのである。

「会計数値や決算書は、程度の差こそあれ『だまし絵的』なのだ。絶対的に正しいのではない。経営者である君は、この点を知っておく必要がある」

 経営を引き継いだばかりの由紀には、まだその意味がよくわからない。

(※9)ルールの継続適用……企業会計は、その処理の原則及び手続を毎期継続して適用し、みだりにこれを変更してはならない、としています。

(※10)会計ルール……会計はルールの上に成り立つものですから、ルールを変えれば決算数字は変わるということです。現在、アメリカとヨーロッパと日本では、それぞれ異なる会計ルールを使って決算書を作成しています。トヨタとメルセデスベンツとGMの業績を、それぞれの国のルールで作成した決算書を使って比較しても、意味がないことになります。そこで、国際的な会計ルールの統一化を目指した作業(国際会計基準)が進行しています。

(※11)近似値……同じ業種で売上高1億円の会社と1兆円の会社があった場合、そこで行われている業務は1兆円の会社の方がはるかに複雑です。ところが、作成される決算書の形式は基本的に同じです。製鉄会社とコンピュータ製造会社も同じです。このことからおわかりのように、決算書は会社の実態を要約した近似値を表現しています。