市場を征服するはずがないのに
なぜマーケットを支配できたのか?

 シモンズと彼のチームの成功を受けて、いくつもの難しい問題が浮上している。従来の大手企業に属するベテラン投資家よりも、数学者や科学者のほうが金融市場の動向をうまく予測できるということを、どうやって受け止めればいいのか? シモンズと仲間たちは、ほかの人には知りえない投資の根本を理解しているのか? シモンズの成功を踏まえると、人間の判断や直観にはそもそも欠陥があるもので、手に負えそうにない大量のデータを扱えるのはモデルや自動システムだけだと言い切れるのか? シモンズの定量的手法が勝利して普及することで、これまで気づかれなかった新たなリスクが生まれるのか?

 私がもっとも惹かれたのは、ある大きな矛盾である。シモンズと彼のチームが市場を征服するはずはなかったのだ。シモンズは金融学の科目を一つも取らなかったし、経営にもほとんど関心がなかったし、40歳を過ぎるまでは投資に四苦八苦していた。それから10年たってもたいして進歩していなかった。それどころか、シモンズは応用数学すら学んでおらず、専門分野は実用からもっともかけ離れた理論数学だった。

 ロングアイランド北岸の静かな町にあるシモンズの会社は、投資のこともウォール街の流儀もいっさい知らない数学者や科学者を雇っている。中には資本主義にあからさまに疑問を唱える人までいる。それでもシモンズと仲間たちは、投資家が金融市場に取り組む方法を変え、トレーダーや投資家などプロの業界を圧倒した。それはまるで、初めて南アメリカにやって来た旅行者グループが、奇妙な道具とわずかな支度金だけでエル・ドラードを発見し、筋金入りの探検家たちが失望のまなざしで見つめる中、黄金を次々に略奪していったようなものだ。

 私もようやく鉱脈を掘り当てた。シモンズの若かりし頃のこと、革新的な数学者や冷戦時代の暗号解読者だったときのこと、そして、会社を立ち上げたばかりの不安定な時期のことを突き止めたのだ。ルネサンスのもっとも重要なブレークスルーや、私の想像を超えて劇的で興味深い最近の出来事について、さまざまな人から事細かに話を聞いた。

 最終的に、30人を超すルネサンスの現役または元社員に、400回以上にわたって取材した。話を聞いたシモンズの友人や家族、そして本書で綴る出来事に関わった、または通じた人たちは、さらに大勢におよんだ。時間を割いて記憶や見解や識見を提供してくれたすべての人に深く感謝する。中には、かなりのリスクを冒して私の執筆の助けになってくれた人もいる。彼らの信義に報いられていれば幸いだ。

 最終的にはシモンズ本人も話をしてくれた。シモンズはこの出版計画をけっして快く思わず、本書を書かないでくれと頼んできた。ルネサンスのトレーディングなど大半の活動については説明を拒んだが、親切にも、人生のいくつかの時期のことについては10時間以上かけて語ってくれた。シモンズの価値ある考えを私は高く買った。

 本書はノンフィクション作品である。ここに綴った出来事を目撃または認識した当人の説明や回顧に基づいている。記憶は薄れていくものだということを踏まえて、事実や出来事や引用はすべてできる限りチェックした。

 定量的ファイナンスや数学の専門家だけでなく、一般の読者にも受け入れてもらえるような形で書いたつもりだ。隠れマルコフモデル、機械学習のカーネル法、確率微分方程式を取り上げる一方で、離婚、企業の陰謀、パニックに陥ったトレーダーも登場する。

 シモンズは洞察力と先見の明の持ち主にもかかわらず、人生で起こったほとんどの出来事に足をすくわれた。それが、彼の驚きの物語から得られる教訓の中でも、もっとも長く引き継がれるものかもしれない。