IT黎明期に日本のみならず世界を舞台に活躍した「伝説の起業家」、西和彦氏の初著作『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。20代から30代にかけて劇的な成功と挫折を経験した「生ける伝説」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴ったのが『反省記』だ。ここでは、アスキー創業後すぐに生み出した、あるイノベーションについて振り返る。

ついに明かされる! 伝説のパソコン「MSX」誕生の驚くべき“舞台裏”Photo: Adobe Stock

パソコンの「統一規格」をつくる

 パソコンの統一規格をつくる――。

 その理念のもと、アスキーが「MSX」というブランドを立ち上げたのは、1983年のことだ。

 今では、どのメーカーのパソコンを使っても、何不自由なくデータを共有することができるが、当時は、それができなかった。多くのメーカーが独自のハードウェアをつくり、僕が社長を務めていたアスキー・マイクロソフトが、それぞれの仕様に合わせて、マイクロソフトBASICを大幅にカスタマイズして“移植”していたから、メーカーごと、機種ごとの互換性がなかったのだ。

 僕は、数年前から、このままではダメだと思っていた。

 理由は大きく二つあった。第一に、ユーザーにとって不便だということ。

 たとえば、ある機種を使用していたユーザーが、新発売になった別機種に乗り換えようとすると、双方に互換性がないために、それまでに使っていたソフトも買い直す必要がある。新機種に対応したソフトがない場合だってある。あるいは、友達同士でソフトを貸し借りしようと思っても、機種が違えばそれもできない。それでは、パソコンを所有する楽しみも半減だ。

 これでは、パソコンのユーザーなど増えっこない。一つのソフトをすべてのハードで使えるようにしなければならない。こんな状況を放置していたら、いつまでたっても、一般にパソコンが普及する時代はやってこないだろう。一家に一台普及するパソコンを自分の手で作ることを夢見ていた僕は、「なんとかしなければ……」と、ずっと思っていた。

 第二に、僕たちの仕事に過重な負担がかかっていたことがある。

「ハードウェアの仕様に合わせて、マイクロソフトBASICをカスタマイズして”移植”する」とだけ読めば、簡単そうに見えるかもしれないが、いちいち細かく作り込まなければならないから、これがもうめちゃくちゃに負荷のかかる仕事なのだ。しかも、厳しい納期が設定されている。ひとつの仕事が終わったら、メンバー全員がふらふらのグロッキーになるような状態だった。

 それに、“移植”だけではなく、納品後も、マイクロソフトと日本メーカーの間に立って、サポートやメンテナンスもすべてやらなければならない。延々と、そういう仕事をやっていると、さすがに身も心もすり減ってくる。

「なぜ、メーカーごとにてんでんばらばらに違うものを作るのか?」という声が聞こえてくるようになるのも当然だった。優秀なプログラマーを手放したくなかった僕は、「統一規格化をしなければ……」と、ずっと思っていた。

家庭用ビデオの「規格戦争」を見ながら考えた

 しかし、統一規格を打ち立てるのは生半可なことではない。

 当時進行中だった、家庭用ビデオにおける「VHS」と「ベータマックス」の規格争い――いわゆる「ビデオ戦争」――を見ながら、そう思っていた。

 1975年にソニーが開発した「ベータマックス」の対抗規格として、日本ビクター(現JVCケンウッド)が、1976年に「VHS」を開発したのが、「ビデオ戦争」の始まりだった。まさに業界を二分する苛烈な戦争だった。

 最終的に、「VHS」に軍配が上がる形で終戦を迎えるまでに10年を要したので、当時は、戦いの真っ只中だったが、強力な販売網を誇る松下電器が「VHS」陣営に入ったことで、「VHS」が優勢に立っている状況だった。そうした情勢をウォッチしながら、僕は、パソコンの統一規格に思いを巡らせていた。

 そして、機は熟しつつあった。

 というのは、家庭用パソコンが発売されるようになっていたからだ。

 1981年に、NECの子会社が、家庭用パソコンとして「PC-6001」を出していたし、それと前後して、テキサス・インスツルメンツ、アタリ、コモドールなどのアメリカの会社も家庭用のマシンを出していた。

 その状況を、家電メーカーの人たちも興味深く見つめていた。当初、パソコン市場に参入したのは、NECをはじめとするコンピュータ・メーカーだったが、徐々に、いわゆる家電メーカーも家庭用パソコンの可能性を模索し始めていたのだ。なかでも熱心だったのは、松下電器の前田一泰さんだった。

 しょっちゅう二人で顔を合わせては、家庭用パソコンのアイデアを出し合ったものだ。

 前田さんが、こんな話をしてくれたのをよく覚えている。家電市場は4000万世帯ある。4000万世帯ということは、年間400万台つくっても全部に行き渡るのに10年かかるということ。年間400万台ということは、月に40万台近く作らなければならない。これはものすごいビジネスだ、と。

 たしかに、すごいビジネスだ。そして、そのビジネスにかかわりたいと思った。ただし、そのビジネスを成功させるためには統一規格が不可欠。そうでなければ、ユーザーが混乱するし、僕たちの現場も崩壊するだろう。今こそ、仕掛けるべきタイミングではないかと思った。ビル・ゲイツに相談すると、彼も同意してくれた。