2021年開催は、五輪の「生死」をかけた正念場

 近代五輪の父といわれるクーベルタン男爵がオリンピック復興を目指したのは、この休戦思想の復活であり、帝国主義が横行する欧州の危機を回避することがその心根にあった。

 しかし、1916年、ベルリンで予定されていた第6回の競技大会は、第一次世界大戦により、中止を余儀なくされた。通常のイベントであれば、「戦争が終わったら第6回大会を開催しましょう!」となるだろうが、休戦に失敗し、開催ができなかったオリンピックはその記録と記憶を残し、第7回のオリンピアードの休戦に挑むことになった。第6回オリンピック競技大会は永遠に中止されたのである。

 同じく、第二次世界大戦により、1940年の第12回と、1944年の第13回の競技大会は中止された。休戦が実現できなかった歴史を刻むことで、世界平和構築への希求をつなげる。それがオリンピックなのだ。

 オリンピック憲章に「延期」の文言はない。あるのは「中止」だけである。しかし、戦争以外の理由で「中止」にするよりも、オリンピック史上の例外、「延期」をIOCは選んだ。であれば、オリンピックの理念を貫くためには、何としてでもコロナとの戦いに勝利するしかない。

 よって、東京五輪2020の2021年開催は、オリンピックが生き残れるか否かの正念場といえる。開催ができなければ、それはIOCにとってばかりでなく、オリンピックそしてスポーツにとって未来がなくなるに等しい。サッカーやテニスといったビッグスポーツならば話は別だが、その他の多くの競技は五輪競技になることによって、あるいはIOCが承認した競技になることによって、その競技運営を紡いでいるのである。これが、バッハ会長が、「東京五輪がトンネルの先の灯火になる」と執拗に言い続ける背景である。

 こんなにコロナ感染が広まっている状況で、どうしても五輪を開催するというのが暴論のように聞こえるが、五輪の理念である休戦思想を貫くためには、戦争以外の理由で五輪開催を諦めることはできない。なぜ、2021年に開催されるのに東京五輪2020なのか?その理由はもはや明らかであろう。