文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今では忘れられた共産党の大スターだった野坂参三。彼の巨大な闇を暴いたジャーナリストたちの執念をお話します。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
ジャーナリズムの真骨頂
大宅賞受賞の「野坂参三伝」
文芸春秋が芥川賞・直木賞を主宰していることは、みなさんもご存じでしょう。しかし、大宅壮一ノンフィクション賞となると、知らない人も多いかもしれません。
名前の通り、芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学の新人賞で、大宅賞はノンフィクションの新人賞です。ただし社内でも、実際に選考委員が加わった選考会でも、「一体ノンフィクションとは何か」という議論が繰り返され、定義が決まらないまま今日に至っています。
たとえば、今までの受賞作を振り返ってみましょう。第2回の受賞者は、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』。公然の秘密ですが、山本七平さんが外国人名で書いたエッセイです。
第3回では、早くもこの賞が孕む矛盾が出ています。受賞者は2人で、1人は桐島洋子さんのエッセイ『淋しいアメリカ人』。もう1人は柳田邦男さんの『マッハの恐怖』で、本格的ノンフィクションです。完全なノンフィクションを賞の対象にすべきなのか、フィクション(小説)以外のエッセイや手記などすべてのジャンルを包括すべきなのか。今に至るもこの問題が解決できずに、右往左往しているのが現状というべきでしょうか。
これは書籍を受賞対象にする以上、無理からぬところもあります。いわゆる雑誌ジャーナリズムのスクープは、どんなに長くても10ページから20ページ程度の作品です。書籍にするために再取材、書き足しをしているうちに鮮度が落ちて書籍としての意味がなくなってしまうからです。