つまり足りなかったのは、世の中のムードに流されず、「この方向で突き進んだらやばいかも」と立ち止まる勇気や、自分たちが置かれた状況を客観的に分析する、冷静な視点だったのである。
そんな戦時下のムードと、昨年1年間の日本のムードは妙に重なる。
「コロナに負けるな」「みんなでステイホーム」などのスローガンのもと、自粛ムードが支配する社会において、国民一丸となって頑張った。営業自粛を強いられて「経済死」をする人もたくさんいたが、「現場で戦う医療従事者のため」と文句を言わずに歯を食いしばった。責任感の強い人たちは、自粛をしない人たちを探し出して注意もした。感染拡大地域のナンバーをつけた自動車に石を投げる人もいた。やっていることは、戦時中の「非国民狩り」と変わらなかった。
しかし、そんな国民の血のにじむような努力も、最前線の医療従事者を救うことはできなかった。日本看護協会が昨年、コロナ感染者を受け入れた病院の21%で看護師が離職したことを明らかにしたことからもわかるように、「第1波」時程度の感染者数であっても、コロナ医療の現場は日本軍のガタルカナル島の戦いのように、厳しい消耗戦を強いられたのだ。
戦時中の国民の自粛が最前線の兵士にとって何の役にも立たなかったように、「国民のがんばり」がコロナ医療の現場に届いていないのである。
政府が後ろ向きな緊急事態宣言を
自ら求める日本人の「自粛意識」
ただ、このような共通点もさることながら、筆者が今の日本と戦時中の日本のムードが丸かぶりだと感じるのは、政府が後ろ向きな「緊急事態宣言の発出」を多くの国民が望んでいるという点だ。要するに、国民の「自粛意識」が政府のそれを飛び越えてしまっているのだ。
実は、戦時中もそうだった。わかりやすいのが娯楽規制だ。
戦争中の映画、ラジオ、演劇、落語などの大衆娯楽は軍部が厳しく弾圧したというイメージが定着しているが、最近の研究ではそうではなく、軍は国民の「自粛ムード」に突き動かされていたことがわかっている。