そんな「密室の取引」の達人である森氏が、長きにわたってトップに居座り権力を握れば、当然組織委員会は「密室での取引」がデフォルトになる。達人のやることに素人は口を挟めないので、必然的に周囲はイエスマンだらけになる。さらにその状態が進行すれば、森氏の「密室の取引」がないと大事なことは何ひとつ決められない「森依存」の強い組織委員会になってしまう。

 これこそが、森氏が社会からどんなに批判されても、組織委員会内部やアスリートからは直接的な批判が出ず、「森さんがいないと五輪開催は不可能だ」などという情けない声ばかりが漏れ、本来は新会長を選ぶはずの理事会がまったく機能をしなかった理由の一つだ、と筆者は考えている。

組織委の密室取引から垣間見える
「談合」という根深い習慣

 さて、ここまで「密室の取引」は是か非か、という意見の対立を見てきたわけだが、実は日本社会にはこの構図にそのまま当てはまる習慣がもう一つあることに、お気づきだろうか。

「談合」である。

 改めて言うまでもないが、社会の一般常識として、公共工事などの競争入札で本来は競い合うはずの業者同士が裏で話し合って入札額を調整する「談合」は、悪いこととされている。特に公務員が関与する「官製談合」は、官製談合防止法違反という明確な犯罪だ。

 たとえばつい最近も、京都府南丹市の職員2人が官製談合防止法違反容疑で逮捕された。府警の説明では、市土木建築部次長の男が元部下だった市上水道課課長補佐の男から入札情報を聞き、幼なじみの土木建設会社社長の男に伝えていたという。これを聞くだけでも、「癒着」「口利き」などなど、ネガティブなイメージが連想されることだろう。

 しかし、そう言いながらも世の中からなかなかなくならないのも「談合」だ。たびたび報じられる公共事業の談合ばかりではなく、リニア中央新幹線の工事でも、スーパーゼネコン4社が談合をしたとして起訴され、排除措置命令と課徴金を命じられたことは記憶に新しいだろう。

 では、なぜいつまでも経っても談合がなくならないのかというと、発注する国や地方公共団体も、建設業界も、建前としては「脱談合宣言」を掲げながらも、本音のところでは「談合は必要悪」と考えている人がかなりいるからだ。