一見、官僚側が豪華な飲食でサービスを受けているかのごとくだ。ところが実態は、会って会食する時間を与え、会食では(たぶん)有益な情報を伝えるなどの「本当のサービス」、つまり実質的な接待を行ったのは官僚の側なのだ。一連の問題は、実質的には総務官僚の側が東北新社やNTTを接待したのだと考えると見通しが良くなる。

 彼らが個人的なリスクを冒してまで求めた「レバレッジ効果のあるメリット」が何なのかは、まだ明確にはなっていない。ただ、彼らにはリスクを冒してでも得ようと思っていたメリットないしは守りたかった何かがあったはずだ。

 それは何か?彼らは官僚なのだから、最終的には人事だろう。たぶん間違いない。

 総務省に影響力があるとされる菅首相に良い印象を持たれて(あるいは「悪い印象を持たれることを回避して」)自分の人事に関するメリットを得たかったのか。将来に備えて超一級の天下り先との人間関係を作っておきたかったのか。政策的な根回しをうまくやりたかったのか。

 一方、彼らから見て彼ら個人個人にとって大きなメリットがあるということなら、「接待を断らない」以上のメリットを東北新社側やNTT側に与えていてもおかしくない。「行政がゆがめられた」可能性は大いにある。

 業者とその関係者(政治家を含む)と、そして官僚の癒着の実態こそを明らかにしなければならないのだが、政治家や官僚と東北新社やNTTと似た種類の癒着関係を持っているに違いないマスコミは、この問題について果たしてどれだけ力を入れて報道するのだろうか。

総務省の接待問題の教訓
公務員人事には「説明責任」が必要だ

 制度の問題として、官僚を巡る今回のような構造の癒着を完全に解消するのは容易ではない。だが、一ついえるのは「権力としての人事」をブラックボックス化させないことが肝心だということだ。

 内閣人事局を通じて首相官邸が公務員の人事をコントロールすることは、「政治主導」の手段としてはいいとしよう。しかし、公務員の人事については国民にも影響が大きいのだし、官僚本人の人生にも影響を与えるのだから、その経緯や理由に関して極力情報を公開し、かつ「説明責任」を持たせるべきだ。

 日本学術会議の会員候補の任命拒否に関して、菅首相から「人事の問題なので説明を控える」という答弁が頻繁になされたが、こうした言い逃れを許すべきではない。大事な人事の問題だからこそ、本人にも国民にも十分納得のいく説明をオープンに行うことが必要なのだ。個人情報の保護よりもはるかに重要な問題だ。

 理由抜きに行使できる権力は腐敗のもとだ。総務官僚接待問題の本質をたどると、おそらく大本はここにある。