「米国は広いから、大型バイクの需要がある」
との仮説は正しかったか?

 かつて、ホンダの北米戦略は「成功した戦略」のケーススタディとして取り上げられ、中でもBCG(ボストンコンサルティンググループ)がまとめたものが良く知られています。

 ホンダは、日本ではスーパーカブとして知られていた小型バイクというユニークな切り口で米国市場への参入に成功しました。その後、大型バイクにおいて、市場を席巻していたハーレーダビッドソンを倒産寸前にまで追い込んだという内容で、これはビジネススクールのケースとしても用いられるほど、よく知られたケースです。

 ホンダはその後、自動車でもシビックやCVCCエンジンで大成功し、米国市場では確固とした地位を築きました。

 結果の軌跡だけをまとめると上記の通りなのですが、現実にはまず、

米国は広いから、大型バイクの需要がある

 との本田宗一郎の着想で、米国進出を決めたところから始まります。

 実際に米国での展開を試みてみると、ハーレーダビッドソンの牙城に食い込むのは容易ではありませんでした。

 また、広大な米国の大地を走り続けるには、当時のホンダの大型バイクのエンジンの耐久性はまだ十分ではなく、その技術課題の克服に技術者たちが必死で取り組みました。

 その間に、ホンダの社員が営業のためにロサンジェルスを走り回るために使っていたスーパーカブが評判になり、売らせてほしいというオファーが飛び込んできました。女性がスカートをはいていても乗れるこの画期的なバイクは、当初は経営側が想定していなかった、まさしく市場において差別化された製品でした。

 スーパーカブは、日本での展開イメージとは異なりファッショナブルに乗る小型バイクとして打ち出され、米国内の潜在市場を切り開きました。

 当時の日本の製造業は、第2次世界大戦後の日本製に対する「安かろう、悪かろう」のイメージを引きずっており、昭和40年代は日本国内でも、国産車に「欠陥車」という言葉がマスコミで使われるほどに、まだ品質問題を抱えている状態でした。

 そこにTQC活動などに代表される、ものづくりプロセスのパフォーマンスと精度の向上に日本企業は取り組み、日本のものづくりのレベルは世界を席巻する品質の高さ示す「メイド・イン・ジャパン」ブランドを築き上げるまでに至りました。

 ホンダの、広大な米国の土地を長距離走行に耐えることができる品質の高さ、耐久性を実現した大型バイクは、その後、かのハーレーダビッドソンをも追い詰めていったのです。