宇佐美洵三菱銀行頭取
 2020年12月、三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下の三菱UFJ銀行の次期頭取に、同行常務の半沢淳一氏が昇格することが発表された(21年4月就任予定)。この人事が話題を呼んだのは、新頭取の名字が人気小説『半沢直樹』の主人公と同じなのもさることながら、副頭取と専務を抜いて常務から頭取に就任するのは同行では初めてだったからだ。「組織の三菱」といわれ、万事、組織的に動くのが三菱系企業の特徴であり、特に銀行のトップ人事に関しては、意表を突くような人選は過去にさかのぼっても珍しい。

 今回紹介するのは、「ダイヤモンド」1964年5月18日号に掲載された、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)の頭取、宇佐美洵(1901年2月5日~1983年2月19日)のインタビュー。この宇佐美はまさに頭取になるべくしてなった人物だった。

 父は内務官僚で富山県知事、東京府知事なども歴任した政治家の宇佐美勝夫、実弟の宇佐美毅は宮内庁長官。母方の伯父に三井財閥の大番頭で大蔵大臣や日本銀行総裁を務めた池田成彬を持ち、三菱銀行頭取などを務めた三菱系企業の実力者、加藤武男とも姻戚関係にある。二大財閥とゆかりの深い“華麗なる一族”の出身だからか、三菱銀行ではほとんどが本店暮らしで、戦後は総務部長、本店営業部長、常務、副頭取と出世街道の最短コースを直進。61年に頭取に就任した。

 当時は、三菱銀行、富士銀行(現みずほ銀行)、住友銀行(現三井住友銀行)、三和銀行(現三菱UFJ銀行)の4行がしのぎを削っており、三菱は富士と預金額でトップを争い、利益額ではトップに立っていた。宇佐美は、この地位を確固たるものとし、「あと10年もたてば、世界の銀行の10番目くらいに躍進する」と意気込みを語っている。

 三菱の信用はいかにして築き上げられたか――。このインタビューで宇佐美は、三菱財閥の創設者、岩崎弥太郎の優れた人物を集める慧眼故だと説明する。例えば日銀総裁。3代目総裁の川田小一郎、4代目の岩崎弥之助、5代目の山本達雄は三菱出身者である事実から、日本の金融行政の草創期十数年は三菱が支えたと胸を張るのである。

 そして、くしくもこの記事の7カ月後となる64年12月17日、政府から白羽の矢を立てられ、自身が日銀総裁に就任する。長期政権は間違いなしと目されていた宇佐美だが、わずか3年で頭取を辞し、戦後の日銀で唯一の民間出身総裁となった。

 そんな運命をまだ知る由もない宇佐美は、当時すでに萌芽のあった景気悪化懸念に関する日銀の役割について、このようにコメントしている。「日銀総裁は、一般的信用不安が起きたときは手を打つと言っていますが、一般信用不安が出てきてからでは遅い。従来にも増して予防的、弾力的に対処していくことが大切だと思います」。

 というのも、このインタビューが行われた64年5月というのは、好景気に沸いた東京オリンピック開催直前。しかし、五輪が終わった秋以降は一転して不況が訪れる。サンウェーブ工業(現LIXIL)、日本特殊鋼(現大同特殊鋼)、山陽特殊製鋼(その後更生)など大型倒産が相次ぎ、65年の企業倒産数は前年の2倍以上となった。株価も急落し、大手証券の一角である山一證券の経営不安が明らかになる。多数の個人客が払い戻しを求めて山一の支店に集まる取り付け騒ぎまで起こった。

 市場の動揺と不況の拡大を抑えるべく、当時の大蔵大臣、田中角栄の発案で、山一に対して日銀法25条に基づく無担保・無制限の特別融資、いわゆる「日銀特融」という奇策が打たれる。事実上の公的資金投入による民間企業救済だが、これにより山一の危機は回避され、株価も回復。宇佐美は、高度成長の腰砕けを防ぐ重要な決断を下した日銀総裁としても、日本経済史の一ページに名を刻んでいる。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

富士銀行とトップ争い
成長の鍵は何か

――三菱の預金総額は1兆円を超していますね。

1964年5月18日号
1964年5月18日号より

 この3月で、内地が1兆1800億、海外の預金320億を加えると1兆2120億円、前期に比し、8%の預金増です。

――富士銀行とトップ争いですね。

 ほとんど差はありません。

――貸し出しは。

 1兆円を超しています。

――利益は富士を抜いてトップですね。

 税務署の課税所得で比較しますと、1963年度の利益は119億9000万円です。

 民間銀行では第1位。日本の会社の所得番付でいきますと、日本銀行が1番目で、それから、トヨタ自動車とか関西電力、東京電力と続いて、三菱銀行は9番目です。銀行では、ここ2~3年ずっと1位を確保しています。