数々の功績を残したトップリーダーたちは、リーダーを目指す過程やネクストリーダーに就任した際、何を考え、どう行動していたのか。連載第4回は、ベイシアグループ創業家から「第3の創業」のフェーズで社長を引き継ぎ、改革を進めて大きな成果を上げているホームセンター業界トップ、カインズの高家正行社長に話を聞く。前編に引き続き後編では、都市銀行、A.T.カーニー、ミスミグループを経てカインズ社長に就任するまでの足跡、そしてプロ経営者としての心得や後継者育成に対する考えを聞いた。
ドメスティックな銀行員から
経営者を目指して外資系コンサルへ
大学では、マクロ経済や財政について学びました。学ぶ中で金融が企業を成長させるための「血液」として機能して産業を育成するという思いを持ち、その面白さに引かれて、1985年、三井銀行(現三井住友銀行)に就職しました。
ところが92年ごろ、バブル経済が崩壊。取引先の企業が苦境に陥ったり倒産したりしたことが、私にとって大きな転機になります。当時、“銀行は晴れた日に傘を貸して、雨の日に傘を取り上げる”などと揶揄されたりもしました。実際、貸し出しの限度額(総量規制)などもあって、窮地に陥っている取引先に対して思うような支援ができなかったという忸怩たる思いもありました。
そんな時に、アメリカで、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身のコンサルタントだったルイス・ガースナーが、経営者として瀕死のIBMを立て直したというエピソードを知り(後に『巨象も踊る』という自伝が発表されています)、「プロ経営者」という職業があることを初めて意識しました。アメリカにはすでにそのようなプロ経営者のマーケットがありましたが、当時の日本の大企業のトップは創業家出身か、新卒入社したなかでの一番の出世頭がなるサラリーマン社長かのどちらか。経営者次第で、企業は逆境に陥ることもあれば、成長することもできるという事実を目の当たりにして、がぜん、「プロ経営者」という職業に興味がわいていきました。
このまま銀行にいても、プロ経営者になる道とは違う。かといって、銀行を辞めていきなりプロの経営者になることも難しい。そこで、経営者になるための修業をするには、若くして経営者の黒子役を担うことができる、あるいは経営者目線で考えることができるコンサルティングファームで働くのがよいだろうと、99年にA.T.カーニーへ転職しました。マッキンゼー、ボストンコンサルティンググループ、A.T.カーニーの3社が当時の日本に進出した戦略系コンサルティングファームとして存在感を放っていましたが、A.T.カーニーの成長は著しく、ユニークな人材が多い印象でした。
私は銀行時代、海外畑でもなく、留学経験もありません。新店の開設準備委員、組合の専従書記長や本部の企画部門等を経験した、古き良き時代の銀行員タイプでした。それに対して、当時同社のアジア総代表で、現在は一橋大学大学院特任教授の安田隆二氏が「あなたのような銀行のメイン・ストリームにいる人がわざわざ銀行を出て、コンサルタントになりたいなんて変わっているね。珍しいから、いらっしゃい」と誘って下さったので、A.T.カーニーに入ることになったのです。