日本人とイギリス人の共通点
――本書のプロモーションのために来日していただきたかったのですが、新型コロナのせいで、それが不可能です。これまで何度か来日されていますよね?
ナース はい、かなり頻繁に訪れています。実際、旭日重光章もいただいており、現在と先代の天皇陛下にも何度かお目にかかったことがあります。通常、1年に一度は日本を訪れるのですが、とても美しい国ですよね。
日本中を旅したことがあります。今回、来日できず本当に残念です。もしも1年後くらいに、まだ本のプロモーションが必要でしたら、いつでも参ります。日本についていろいろ勉強しましたし、この研究所でも数名の日本人科学者が働いてくれています。
東京にも京都にも広島にも大阪にも研究仲間がいます。私は、日本人のユーモア感覚が好きなんです。
――ええ? 日本人にユーモアのセンスなんてありますか?
ナース もちろんありますとも(笑)。でも、机の下に隠していますよね。日本人はよく笑うじゃないですか。あまり公の場では笑わないかもしれませんが、大いなるユーモアのセンスがあることを知っています。イギリス人と日本人は共通点が多いですね。
全く異なる国なのに不思議ですが、もしかしたら、お互い島国であることが関係しているのかもしれません。私は日本の研究仲間ときわめて良好な関係にあります。
――イギリスにはパブに行く習慣がありますが、日本のビールはお好きですか?
ナース ああ、お世辞にも大好きとは言えません(笑)。ただし、キンキンに冷えた奴は別です。日本食は大好きなのですけれども。
――私は30年間サイエンスライターをやってきたのですが、最近、科学に興味を失った若者が多く、どうしていいのかわかりません。
ナース 私も日本の若者が少し科学と距離を置いていると感じています。1978年頃に、大勢の若手科学者と日本で会ったのを覚えています。
みな、イギリスの研究所に留学して研究したがっていました。ところが、いまは、そういった若者がほとんど消えてしまいましたね。いったい日本に何が起きたのでしょう。私には理由はわかりません。
イギリスは科学の本家です。17世紀にイギリスにおいて現代科学が始まりました。1660年に設立された王立協会です。私もかつてこの協会の会長を務めたことがあります。イギリス政府は常に現代科学を支えて来ました。
実際、われわれは科学がとても得意です。ノーベル賞の受賞数だけを見ても。アメリカの方が多いとはいえ、彼らは国の規模が5倍も6倍もあり、イギリスよりはるかに潤沢な研究資金がありますから。イギリスの科学がうまくいく理由として、たまに私は天気が関係しているのではないかと思うことがあります。
――て、天気ですか?
ナース イギリスの気候は、常に暑すぎず、寒すぎず、よく雨が降ると言われますが、そんなに降るわけでもないのです。日本のような大雨に降られることも少ないですし。このような気候が、国民気質とでもいうべきものを形作っているのかもしれません。パニックに陥ることもなく、気分が落ち込むこともなく……おわかりになりますか?
――中庸ということでしょうか。
ナース まさにそれです! 冗談でおかしなことを口走っているように聞こえるかもしれませんが、そうじゃありません。気候のせいで、落ち着きとでもいうのでしょうか、科学の問題を深く考えることができるのです。
アメリカに10年ほど住みましたが、みな、いつも興奮しすぎです。もっと落ち着いて沈着冷静に問題と取り組む必要があります。
――科学にとって大切なのは、じっくり集中して問題を解く、ということなんですね?
ナース そうです。バランスの取れた視点が必要なのです。科学者もよく間違うわけですが、アメリカでは、自分に批判的になるのが難しい。いつも「私、サイコー!」というお国柄ですので。日本は、おわかりでしょうが、逆に自己批判をしすぎです。
――たしかにそうですね(笑)。
ナース 自己批判は大切ですが、落ち込んでしまったらダメです。イギリスには、落ち着いて科学に取り組む環境があります。日本の若者の問題については、本当に私には理由がわかりませんが、なにかヒントがあったら教えてください。
――あなたご自身は若い人や子どもたちに科学を教えることはありますか?
遺伝学者、細胞生物学者
細胞周期研究での業績が評価され、2001年にノーベル生理学・医学賞を受賞。1949年英国生まれ。1970年バーミンガム大学を卒業後、1973年イースト・アングリア大学で博士課程修了。エジンバラ大学、サセックス大学、王立がん研究所(ICRF)主任研究員、オックスフォード大学教授、王立協会研究教授を経て、1993~1996年王立がん研究所所長、2003~2011年米ロックフェラー大学学長、2010~2015年王立協会会長、2010年より現職、フランシス・クリック研究所所長。2001年に仏レジオン・ドヌール勲章、2013年にアルベルト・アインシュタイン世界科学賞を受章。世界中の大学から70以上の名誉学位や名誉フェローシップを受賞。本書が初の一般書となる。趣味はグライダーやクラシック飛行機の操縦。
ナース 私は大学に務めた経験もあるので、少しは教えたことがありますが、あまり教えるのがうまいとは言えません。ラジオやテレビで科学について語ることはあります。一般のリスナーや視聴者、特に若い人々に向けて話をするよう心がけています。
でも、積極的に教育の推進はしています。この研究所内には、小学生向けのラボ(研究室)があるんですよ。7歳から11歳の子どもたちのためです。他に類を見ない施設だと思います。
小学生はふつう、実際のラボに出入りする機会などありませんから。高校生くらいになれば可能ですが、小学生にはチャンスがありません。この研究所の小学生のためのラボには年間2000名の子どもたちが訪れます。いまは残念ながら新型コロナのせいで休止中ですが……。
私の妻が小学生に教えています。彼女が研究所に小学生のためのラボを作ったらいいとアドバイスしてくれたのです。ちっちゃな子どもたちが、本物の研究所に来るんです。その光景を想像できますか? 研究所の所員の中には、子どもたちが煩すぎると文句を言う者がいるくらいです(笑)。
私自身は、14歳か15歳以上の若者でないと、うまく教えることができません。
――私も小さなインターナショナルスクールの校長をしておりまして、教壇に立っていますが、高学年でないとうまく教えられないんです(笑)。
ナース 私と同じですね(笑)。小学生たちは、ここに来ると、本物の顕微鏡で葉っぱの細胞を拡大して観察したりします。素晴らしい光景です。
――最後に、1つだけお聞きしてもいいですか?
ナース どうぞ、どうぞ。
――あなたは空飛ぶ生物学者ということですが、実際に飛行機を操縦されるのですね?
ナース はい、グライダーも飛行機も操縦します。あくまでも娯楽として飛ぶのであって、仕事にしてるわけじゃありませんよ(笑)。アルプスやピレネー山脈の上を飛ぶのが好きです。スコットランドの山の上も飛びます。
アメリカにいたときは、グライダーよりも飛行機をたくさん操縦しました。飛行機といっても、クラシック飛行機です。
――クラシック飛行機と言うと?
ナース 翼が2つでコックピットが覆われておらず、作られてから60年経っているような飛行機ですね。古い飛行機は操縦が難しいんです。でも、同時にエキサイティングでもあります。また、私はブッシュ・パイロットでもあるんですよ。
――ブッシュ・パイロットですか? それはいったい……。
ナース 通常の飛行場以外の、川べりや氷の上などに着陸、離陸するんです。それをブッシュ・パイロットと呼びます。最近は、さすがに年齢もあって、前ほど1人では空を飛ばなくなりましたが。
最近は、単独ではなく、常に誰かと一緒に飛ぶよう気をつけています。墜落したくはありませんからね(笑)。私の本が日本語に翻訳されて、とてもとても嬉しいです。日本を何度も訪れたことがあります。とても美しい国です。どうか、私の『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』を楽しんでいただき、生物学の偉大な発見に触れてください。ありがとうございました。
(2021年2月18日18時~19時、於ダイヤモンド社会議室―英国フランシス・クリック研究所所長室)
―――――――――――――――――――――――――――――
○インタビューを終えて(竹内薫)
インタビュー前の心配は必要ありませんでした。いつも私が心配するのは、科学者には変人が多く(失礼!)、インタビューでも機嫌が悪い先生が多いからなのです。でも、今回は、機嫌が悪いどころか、何回も笑わせてもらい、インタビュー後、とてもすっきりとした良い気分に浸ることができました。本当に不思議な人です。
個人的な話になりますが、新型コロナ禍のこの1年、サイエンスライターの職業も(相次ぐイベントや講演会の中止などが響き、)非常に厳しく、精神的にもギリギリというのが本音だったのですが、ポール・ナースの本を読み終えたとき、私は「生きるための元気」をもらった気がしました。
そして、実際にインタビューをさせていただき、私が本から得た印象は、まさにポール・ナースご本人の人格から来ているのだと確信しました。
世の中にはいろいろなタイプの人間がいます。科学者にも、自分の好きなことだけやっていれば社会や他人など眼中にない、あるいは、地位や名誉やお金が目的だという利己的な人もいます。でも、ポール・ナースは、常に自分や仲間たちの発見を社会に還元し、世界がより良くなるよう奮闘しています。おそらく、その利他的な精神が、本とインタビューにそのまま現れているのでしょう。
インタビュー中、いくつも感心した点があります。研究所の一部を一夜にして(2週間にして)PCR検査場に変えてしまった話。小学生のために本物のラボを作った話。イギリスの気候とイギリス気質のお話。そして、「空飛ぶ生物学者」の楽しいお話。
そして、驚いたのは、終始笑顔でユーモアのかたまりだったポール・ナースが、一度だけ、真剣な眼差しで語気を強めてゴールデンライスの実験場を燃やしたNGOを批判したことです。インタビューでも述べられているとおり、通常は環境NGOの熱心な支持者であるにもかかわらず、科学的な実験場を燃やしてしまったNGOの行為は、科学者として許せなかったのでしょう。
見解の相違があったとしても、もっと別の方法があったのではないかと。
地球上の全生命が太古の昔につながっており、今の地球上の生命の始まりが「たった1回」だったという壮大なストーリーに私は魅了され、そして、本とインタビューを通じて、世界の見方がガラリと変わりました。
ポール・ナースさん、インタビューのお時間を取っていただき、ありがとうございました。新型コロナが収まったら、ぜひ、日本料理屋さんでキンキンに冷えた日本のビールで乾杯しましょう!
☆好評連載、関連記事
地球上の生命の始まりは「たった1回」だけという驚くべき結論
20億年前、ほとんどの生物が絶滅…「酸素の大惨事」の真相
意外と知らない…兄弟姉妹が「遺伝的に異なっている理由」とは?
【「だから、この本」大好評連載】
第1回 語学が苦手で試験に6回も落ちたノーベル賞学者…「ブレークスルー」をつかむために必要なこと
第2回 ノーベル賞科学者が明かす…イギリスが早々とワクチンの開発に成功したワケ
第3回 地球温暖化や環境問題…ノーベル賞学者が教える「世界を変える」方法