「いつもだったら気にならないことでも、
我慢ならない」が現場を疲弊させる
コロナ禍は、“納得できない”ことばかり。観客を入れるのか入れないのか、その人選は正しいのか等々、開催直前なのに毎週のようにトラブル続きな東京オリンピックのゴタゴタ劇も、その良い例でしょう。
我慢の生活が長く続き、不満をため込んだ市民・消費者は、たとえ相手が大企業でも、有名大学病院の高名な医師であっても、相手を問わず平気でクレームをつけてきます。コロナ禍とは、皆が納得できない、モヤモヤした不満のはけ口を多くの人が探している状態なのかもしれません。
「いつもだったら気にならないことでも、我慢ならない」昨今、客に対応する従業員や窓口担当の負担は増す一方です。その負担の原因は、クレームの正当性の見極めが非常に難しくなっていること。
元々、クレームというのはその線引きが難しいものです。風貌が怖く、怒鳴っているからといって悪質なクレーマーだと決めつけてはいけませんし、反対に、穏やかで丁寧な話し方でも、こちらを追い詰めてくる悪意を持ったクレーマーも存在しているからです。