お台場大江戸温泉の天井は低い。江戸の下町情緒を細かく再現した館内のセットに比べると、黒一色のそれは殺風景にも映る。しかしながら、そのアンバランスさが「お台場大江戸温泉に来たぞ」という気分を感じさせてくれるようにも思える。ディズニーランドの手すりにさびや傷を見つけたときのように、完璧ではないこと自体がテーマパークとしてのコンセプトを際立てるようなイメージだ。

 屋外の足湯エリアも今まで通り。一部のアクティビティが中止されているなど、終わりを感じさせる光景もいくつか見受けられたものの、東京の中心地とは思えない落ち着いた雰囲気の中で気分を整えることができた。

 大浴場へ入湯すると、私と同じ20代ぐらいの若者たちが心地良さそうに過ごしていた。以前はもう少し賑やかで、時には騒がしいと感じるほどの浴場であったが、「黙浴」を心がけて互いに注意を払う姿がまぶしい。

 それでも溢れる言葉の端々には、「無くなっちゃうんだってね」「マジ、これからどこ行こう?」と閉館を残念がる気持ちが込められていた。心の中で固くうなずきながら、黙々とサウナや天然温泉を巡った。夏の暑さと相まって水風呂が殊更に心地いい。ついつい長湯をしてしまった。

 退館後、いつものようにシャトルバスの到着を待ちながら身体の熱を外気で冷ます。もうここで今日と同じように楽しむことはできないから、スマートフォンをポケットに閉じ込め、私はただ周囲を眺めていた。ありがとう、東京お台場大江戸温泉物語――。映画館の席を立つような気持ちで、シャトルバスの最後列の座席から18年分の人々の思い出が詰まった景色を見送った。