YouTubeの非収益化はネット上のコンテンツを軌道修正できるか

 浅薄で無神経で傲慢な操作性。そんな構造的な誤謬(ごびゅう)に陥るウェブに、ジャーナリズムなんて定着するのだろうか? ウェブでデビューし、ウェブを愛し、ウェブを主戦場に20年書いてきた私だが、実は、最近とみに自信がなくなってきた。

 本当の表情を見せぬまま大量の人々の行動をネット上に誘導し、そこから心理的に抵抗の少ない絶妙な額の金を引き出し、「ちりも積もれば」で一攫千金を手にする。あるいは、とにかく1回でも多くクリックさせて、そのアクセス数や再生数に応じて広告費を稼ぐ。「小銭×(愛なんか1ミリも持ち合わせなくていいから)とにかくクリック数」、それがネット業界やメディアが大好きな常識、YouTuberの「マネタイズ=収益化」である。

 YouTubeでは、規約違反の動画を上げた者に対し、運営側によるBAN(禁止策)として「非収益化(ディマネタイズ)」が科される。だが、それは明白に犯罪レベルのエロ、グロ、差別用語に対して発動するものであって、政治的な姿勢か差別か、というゾーンの動画に対しては「表現の自由」としてGoogleらしく大目に見ることが多い。ディマネタイズがネット上のコンテンツを軌道修正することに、大きく期待はできないのだ。なぜなら世界は、それがどれほどエロかろうがグロかろうが差別的であろうが、「いまみんなが隠れて見たいものは何か」、ネット上のデータで本音を知りたいのだから。

「ホームレスの命は、どうでもいい」「言っちゃ悪いけど、いないほうがよくない?」。DaiGo発言は、2010年代日本のネットの申し子たる彼らしい、ネット依存的行動の行き着いた先で出た本音だったのだろう。だが、数字を追うだけでそこに愛も信義もないネットコンテンツはどんどん下賤になり、アクセス数で広告費を稼ぐコンテンツメーカーもまた(どれだけ小金を稼ごうが、精神が)卑しいのだ、という物差しを、ネットで活動する者こそ堅持していかねばならないと思っている。