人の形の染み、ウジ虫、目に染みる死臭……壮絶な現場

 受注単価は部屋の状況によって15~30万円。普通のクリーニングであれば支払いを躊躇する金額かもしれないが、ある程度カネを持っているオーナーは、自分で処理するわけもなくすんなりと井田に依頼する。

「別にすごいノウハウがいるわけではない。必要なのはマスクとゴーグル、それと塩素剤を噴霧する機械。あとは少しばかりの勇気かな」

 ニヤッと笑う井田も、はじめての現場では当然の如く「嘔吐した」という。

「とりあえず、ゴム手袋でもつけて、捨てるものだけ捨てて薬を撒けばそれでいいだろう」と乗り込んだ畳敷きの部屋。そこには、人の形そのままの血液の染み、その上いっぱいに這い回るウジ虫、目まで染みてくる死臭があった。「吐いていたら仕事にならない」と、気休めにしかならなくとも、香水をつけたマスクとゴーグルを装着するようになったのはそのためだった。

 部屋に入ると、まずは塩素剤を徹底的に噴霧する。そうするとウジ虫も匂いも比較的すんなりと抑えることができるためだ。他の現場にも連れて行く留学生のアルバイトと2人、ゴミは一気にゴミ袋につめ、使えなくなった畳や家具などは、外を歩く人の目から見てもわからない程度には処理をして粗大ゴミとして出す。あとの荷物は「廃品回収」するまでだ。

 意外なことに、「仏さん」は何も持っていないことばかりというわけでもないという。ホスト狂いの若い女、家族に見捨てられたバブル長者、他にも「廃品回収」の甲斐がある物を残してこの世を去っていく者たち。

 遺品回収に取りかかる前に、発注者とは、遺品の所有権のすべては井田の手に渡ることを確認した契約を結ぶ。後から「勝手に処理した」と文句を言われたら窃盗罪になりかねないというのが表向きの理由だが、実際は「二度おいしい」遺品回収業のためでもある。

 仕事は半日で終わる。手伝ってもらうバイトに払うカネは多少弾まなければならないが、それでも1回の仕事で手元に10万円以上が残り、後日モノが売れるごとに5万円、10万円というカネが入ってくる。100万以上の売上になることも珍しいことではない。

「オーナーさんも喜んで、ぼくも喜んで、あとは仏さんだって、人から見捨てられていたのに、最後に誰かが自分の世話してくれたって、ぼくがその立場になって考えてみても喜んでくれてると思うんですけどねぇ」

 佐藤の死に2度目の「漂白」をもたらした日常

 増田が井田と知り合ったのは、今も複数の物件を借りているオーナーからの紹介だった。以前運営していたある物件で、オーナーにシェアハウスとして利用することを十分に説明しておらず、それを知ったオーナーから即時の撤退を迫られたことがある。そのときに、迅速に人を集めて、手際よく2段ベッドや家具類を持っていってくれたのが井田だった。

 佐藤が亡くなったことを井田に連絡すると、仕事は早かった。「こんなの、普段やってる『遺品整理』に比べれば何もなかったようなもんです」と言って、1人で1時間も経たぬうちに、汚れも匂いもとってしまった。そして、残る荷物もゴミ袋にまとめ「また何かあったら使って下さい」と3万円の請求書とともに置いていった。

 その後、佐藤が寝起きしていたベッドは解体されたものの、「そのぶん広くなって荷物を置きやすくなったから」と末吉が住み始めた。増田にしても、簡単な葬式、お祓い、盛り塩といった何らかの儀式が必要だろうとはじめは思い込んでいたが、「まあいつかやろうか」と言ったままとなり、結局、物件内にはこれまでどおりの日常が戻っていた。

 シェアハウス物件の住民たちにも動揺はほとんど見られない。これには、先述した通り、住民の多くは数ヵ月以内に入れ替わり、その一方で、長期入居者は決まった時間に通勤し同じ時間に帰ってくる安定した生活を送っているため、ことの成り行きを人づてに聞いた程度だったという事情もあるだろう。

 井田が物理的に「漂白」した死は、シェアハウスの日常によって2度目の「漂白」を迎えた。

 家族でもない、恋人でもない、場合によっては友達でもない赤の他人同士による同居生活。それは「シェアハウス」以外にも「ハウスシェア」や「ルームシェア」「ゲストハウス」などと称され、呼称によって微妙な意味の差異を持つ「住み方」が、若者の新しいライフスタイルの潮流の1つとなっているのは確かだ。

 増田が“事業”としてのシェアハウス運営を始めた当時、長澤まさみ・上野樹里が主演となり、多様な社会問題を織り込んで反響を呼んだドラマ『ラスト・フレンズ』、映画化もされ若者に人気のマンガ『NANA』、芥川賞受賞作『ポトスライムの舟』など、すでに「シェア的な住み方」がその舞台に設定されていたと記憶している。

 そして、その流れはさらに強まっている。この5年の間で、“趣味”としてのシェアハウス生活を送る者の数は10倍になったのではという見解もあるし、“事業”としてのシェアハウス経営者も業者数ベースで少なくとも数倍には増えたことは間違いない。